つかのまの北平市長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/10 22:51 UTC 版)
1937年(民国26年)7月に盧溝橋事件が勃発すると、江朝宗は日本軍の後ろ盾を得て、北平(北京)維持会会長兼特別市市長に就任した。しかし、同年12月に王克敏が中華民国臨時政府を樹立すると、江は用済みとばかりに北平市長から罷免され、北平維持会も解散された。江は臨時政府委員にこそ任命されたが、王の下風に立つことを肯ぜず、王との対立の末に下野に追い込まれている。以後、江朝宗は、政界復帰と下野を繰り返した。汪兆銘政権(南京国民政府)成立後は華北政務委員会委員となった。 1943年(民国32年)9月20日、老衰のため北京特別市で死去。享年83。
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