つかの間のF1全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 02:40 UTC 版)
「パトリック・タンベイ」の記事における「つかの間のF1全盛期」の解説
F1浪人となった1982年だったが、中盤にフェラーリからオファーが舞い込む。自身の親友でもあり、第5戦ベルギーGP予選にて事故死した、ジル・ヴィルヌーヴの後任としてのオファーだった。 タンベイは第9戦オランダGPより参戦するが、この年のフェラーリはヴィルヌーヴとディディエ・ピローニのドライバー間の確執、前述したヴィルヌーヴの事故死などにより、混乱の中にいた。第12戦ドイツGPでは、それまでランキング首位に立っていたピローニが予選中の事故で両足を複雑骨折して戦線離脱を余儀なくされ、再びチームは波乱を迎えた。 しかし、タンベイは決勝で優勝する。自身の初優勝であるうえ、混乱するチームに希望を与える勝利となった。これを含めて数回入賞し、チームのコンストラクターズチャンピオン獲得に貢献した。 翌1983年もフェラーリに在籍し、予選では4度のポール・ポジション(以下:PP)を獲得したほか、第4戦サンマリノGPではファイナルラップ(最終周)にリカルド・パトレーゼがクラッシュしたため、繰り上がりで優勝した。さらに数回表彰台に上がり、最終的にドライバーズランクでは4位となったほか、チームのコンストラクターズタイトル連覇にも貢献した。
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