つかの間の四川統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:45 UTC 版)
1922年(民国11年)7月、第1軍軍長熊克武、第2軍軍長劉湘との戦い(「一、二軍之戦」)が始まる。第3軍軍長劉成勲は、熊から川軍臨時総司令の地位を提示されて、熊に味方した。そして他の川軍軍人に呼びかけて劉湘を攻撃し、これを撃破して下野に追い込んだ。10月、劉成勲は四川善後会議で川軍総司令に擁立される。さらに12月には、四川省議会から臨時省長に推戴された。ついに劉成勲は、四川の最高統治権を取得したことになる。 しかし、劉成勲の優位は長く続かなかった。劉成勲には他の川軍指揮官の台頭を抑える力量は無かったのである。1923年(民国12年)1月には、北京政府に味方した川軍第3師師長鄧錫侯等の討伐に失敗した。5月には臨時総司令、省長などの地位を失い、旧本拠地の新津に退却している。同年11月、劉湘が呉佩孚の支援により再起し、熊克武討伐を開始すると、劉成勲も劉湘に与して、熊を四川から駆逐した。
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