戦後の新規開発車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 15:56 UTC 版)
「山陽電気鉄道の旧型電車」の記事における「戦後の新規開発車両」の解説
1949年に導入された800形(820番台)は、日本で戦後初めて新造された転換クロスシート電車で、「旅はこれでこそ楽しい」のキャッチフレーズがつけられた。さらにその増備車 (830 - 831) では、川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)の岡村技師(当時)が開発したユニークな軸梁式台車(岡村 - 川崎の頭文字を採ってOK形台車と命名された。なお、830 - 831が装着したのはOK-3で、既に完成の域に到達しており、廃車までそのまま継続使用された)を試用したが、このタイプの台車は1950年代後半以降の高性能電車2000系で本格採用され、3000系アルミ車まで30両以上に装着された。 その後も、旧型車の更新車である250形で内装や屋根布などにビニル樹脂材料を全面的導入、増備途上の2000系 (2012 - 2505 - 2013) での本格的なアルミ合金製車体の日本初採用(1962年)、250形281への富士電機製電機子チョッパ制御器の搭載、また3050系後期グループ(3066以降)では大型アルミ型材の自動溶接による低コストなアルミ車建造手法の確立、と失敗に終わったものも含め、企業規模からは想像もつかないほどの多彩な技術がここを揺籃としている。 山陽電鉄と近傍の神戸市内には車両メーカー大手の川崎車輛があり、その立地条件も手伝って同社との協力による試作品のデータフィードバックや不具合対策に好適という背景があった。その結果、山陽電鉄は新しい車体構造や台車の開発などで目立たないながらも、日本の鉄道車両史に少なくない役割を果たしてきたのである。 特に台車については川崎重工が軸箱支持構造などについて新規設計の台車を試作する場合、まず山陽電鉄の本線東垂水駅前後に存在する厳しい線形のS字曲線区間で試験を行うのがOK形台車以来慣例となっており、その後も西日本旅客鉄道(JR西日本)が新造車(その中には500系新幹線電車が含まれる)に大量採用したことで一気に普及した軸梁式ボルスタレス台車シリーズが、山陽の5000系 (5012F) に試験装着されたKW-73・74で初採用された。 もっとも、最初の高性能車である2000系はそうしたメーカーとの共同作業による試行錯誤を重ねた結果、合計8編成製造されたうち、同型で揃えられたのは3編成のみで、残りはどれ一つとして完全に同一仕様の編成が存在しないという状態であった。これらの保守に苦労した経験は、同社に車両の仕様統一という面で大きな教訓を残した。1968年の神戸高速鉄道開業までに保安性の向上と輸送力の増大を目論んで3000系19m級3扉ロングシート車を大量投入し、以後の増備車両にまで繋がる基本的なフォーマットを確立している。 表 話 編 歴 山陽電気鉄道の車両現有車両 3000系(3000形・3200形・3050形) 5000系 5030系 6000系 過去の車両(概要) 自社発注車200形 700形 820形・850形 250形 2000系 270形 300形 2700系 2300系 前身事業者からの承継車 兵庫電気軌道1形 13形 22形 29形 36形 神戸姫路電気鉄道76形(2代目)・1000形 宇治川電気電鉄部51形・76形(初代)・100形・1000形
※この「戦後の新規開発車両」の解説は、「山陽電気鉄道の旧型電車」の解説の一部です。
「戦後の新規開発車両」を含む「山陽電気鉄道の旧型電車」の記事については、「山陽電気鉄道の旧型電車」の概要を参照ください。
- 戦後の新規開発車両のページへのリンク