戦後の料亭小松とは? わかりやすく解説

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戦後の料亭小松

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:46 UTC 版)

小松 (料亭)」の記事における「戦後の料亭小松」の解説

1945年昭和20年8月15日終戦後小松はいったん店を休業した同年8月30日には横須賀連合軍進駐し、横須賀鎮守府接収された。その結果鎮守府残務整理行なう部署横須賀鎮守府庁舎追われることになり、休業していた小松移ってきた。やがて小松外務省職員宿舎として利用するようになった鎮守府残務整理が行なわれ外務省職員利用する小松には、連合軍の関係者もやってくるようになった大佛次郎1945年8月30日日記には「海軍とともに出来上った店主人が帝国海軍運命を共にしたいと云う。代を変え他人経営する」と述べられている。 小松出入りする連合軍の関係者中には米軍憲兵もいた、山本直憲兵隊長小松営業再開について打診をしてみたところ隊長から横須賀には連合軍兵士健全な遊び場がないことが悩みの種であったので、小松営業歓迎する旨の意見出されことがきっかけとなり、熱湯タンク流し整備行なうことを条件として小松営業認可され1945年昭和20年10月横須賀GHQ指定料理店第一号として営業再開することになった。また小松側としても、アメリカ軍人に「こんなところで遊んでいたから日本負けたのだ」と言われないために、小松敷地内グリル、ソーシャルサロンを整備しバンド入れて連合軍兵士らに対応できる設備整えるなど、戦争末期から終戦後混乱荒れていた小松整備していった。 営業再開した小松アメリカ海軍士官らに受け入れられていった従業員対す英語教育が必要となり、終戦後横須賀市内の長井隠棲していた井上成美依頼することとなった井上海軍ひとかたならぬ世話になった料亭小松からの依頼快諾し小松従業員に対して手作り教材用い、「すき焼きはいくらです」などというような、料亭で役立つ実用的な英会話教えた1952年昭和27年)にサンフランシスコ講和条約日米安全保障条約発効したこの年講和条約発効記念して小松旧館一階部分キャバレー改築しアメリカ軍人アメリカ軍人とともに来店する日本人相手サービス提供するようになったこの頃になると小松旧海軍関係者がよく姿を見せようになった1955年昭和30年)には小松創業70周年迎え新館瓦葺二棟五部屋を増築した横須賀戦後米海軍ばかりではなく海上自衛隊重要な根拠地となっており、旧海軍伝統引き継いでいる。そのような横須賀料亭として唯一残っていた小松は、米海軍横須賀海上自衛隊で広く利用され続け旧日本海軍海軍料亭としての伝統守り続けていた。2003年平成15年)には旧館約半分解体されマンション建設されたため、戦後キャバレーとなった部分などが無くなったが、大正末に建設され玄関部分や、銘木ふんだんに用いた新館21世紀に入って健在であったまた、多く日本海軍軍人に愛好されたため、小松には海軍軍人の書など、日本海軍歴史を知るための貴重な資料数多く残されていた。しかし、2016年平成28年5月16日火災により全焼した出火原因不明跡地は、2021年5月中旬までの期間限定で「かき小屋横須賀中央店」となった

※この「戦後の料亭小松」の解説は、「小松 (料亭)」の解説の一部です。
「戦後の料亭小松」を含む「小松 (料亭)」の記事については、「小松 (料亭)」の概要を参照ください。

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