戦後の数年間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:54 UTC 版)
「スタンダード・モーター・カンパニー」の記事における「戦後の数年間」の解説
平和の時代が訪れ、戦前の乗用車、エイトとトゥエルブはすぐに生産再開された。 特に注目に値するのが、1945年にジョン・ブラックがおこなったトライアンフ自動車の買収である。経営不振のトライアンフは管財人に引き渡されており、その価格は75,000ポンドだった。トライアンフはスタンダード社の完全子会社となり、"トライアンフ・モーター・カンパニー(1945)リミテッド"となった。スポーツカーや小型車を主力としたブランドとなり、アメリカ市場を中心とした輸出での外貨獲得で、親会社のスタンダード以上の実績を挙げることになった。 もうひとつの収益源として役立ったのが、食糧増産体制に合致した農業用トラクターを生産するファーガソン・トラクターの設立で、大工場の戦時中空いたスペースが有効活用できた。 1948年、スタンダードはヴァンガードによるワンモデルポリシーを打ち出した。ヴァンガードはウォルター・ベルグローブの手になるアメリカン・スタイル路線の車で、1953年に新型エイトが準備できるまで生産が続けられた。組立工場は国外にも建設され、オーストラリア、カナダ、インド、南アフリカと続いた。 ジョン・ブラックは1954年経営から退いた。その理由は、当時の正式発表では「体調が病気がちになったため」とされたが、現在では「役員会で退任を要請されたため」であったとされている。長らく彼を支えていたアリック・ディックが後を引き継いだ。 この頃から経営の停滞傾向が生じ始めた。会社は継続的成長を目指し他社との提携を模索しクライスラー、マッセイ=ハリス=ファーガソン、ルーツ、ローバー、ルノーなどと話し合いを持ったが、いずれともうまくいかなかった。スタンダード車は当時の典型的イギリス車の枠を出ない保守的な設計で格別秀でた存在ではなく、更に他のメーカーが「スタンダードモデルとデラックスモデル」というモデルグレード分けをおこなうようになっていた当時、社名とブランド名そのものが「並級」を示唆する「スタンダード」であることは、商品戦略上不利に働いた。モデル展開もむしろ子会社のトライアンフ・ブランドにおいて積極的に行われていた。 結局、1960年にレイランドに2千万ポンドで買収され、英国におけるスタンダード車は1963年で生産終了した。一方、ブランドイメージに勝るトライアンフブランドの四輪車生産は、レイランドでも、そしてその後の1968年、BMCとの大統合でBLMCとなっても継続した。
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