戦後の日本における人事管理の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 16:00 UTC 版)
「人事労務管理」の記事における「戦後の日本における人事管理の変遷」の解説
高度経済成長期前後までは単純年功序列が主流であった。だが、日本的経営がもてはやされたころには、経済発展に伴って単純な年功序列は姿を消し、個々の従業員の職務遂行能力で処遇する能力主義と呼ばれる管理手法が取られていた。これは当時の日経連(日本経営者団体連盟、現日本経済団体連合会)が1969年に発表した『能力主義管理-その理論と実践』で提唱したシステムである。その方法論として、職能資格制度が導入された。とはいえ、実際の運用では、年功的な基準に能力・実績である程度の処遇差を設ける運用が主流であった。 長らく能力主義管理が行われてきたが、バブル崩壊後の景気低迷状況下の1995年、日経連(当時)は『新時代の「日本的経営」――挑戦すべき方向とその具体策』との報告書を発表した。同報告書では「雇用ポートフォリオ論」が主張されているが、これは『「従業員の個性と創造的能力を引き出す」とともに「従業員のニーズに即して多様な選択肢を用意」する』要求への回答として人事管理の方向性を示したものである。同報告書では目指すべき雇用形態として(1)長期雇用(終身雇用)を前提として積極的に能力開発を施し、基幹的職務に従事させる「長期蓄積能力活用型グループ」(2)有期の雇用契約を前提として企画開発・デザインなど専門性の高い職務に従事させる「高度専門能力開発型グループ」(3)経営環境や業績に応じて雇用調整しやすい短期雇用で特別な知識や職業訓練を必要としないか短期の研修で済む職務に従事させる「雇用柔軟型グループ」――の3つのグループに分けることを提唱している。それぞれに応じた賃金・教育訓練等の処遇を行い、必要に応じた雇用調整を容易にし、人材活用の面から経営の効率化を目指すものだった。だが、2000年代に入ると非正規雇用の増加や(正規雇用との)待遇格差が社会問題となり、日経連の「雇用ポートフォリオ論」がその要因をつくったとの批判も出ている。 2000年、日経連は『経営のグローバル化に対応した日本型人事システムの革新』と題する提言を発表する。ここでは成果主義の導入を提言しており、前後して成果主義的な制度を導入する企業が相次いだ。多くは、コンピテンシーの導入や人事評価制度の修正などで能力主義を客観的で公正な評価システムに再構築するという形をとった。しかし、一部で(評価基準を個人の業績のみに設定する等の)稚拙な成果主義制度の導入によって生産性低下などの問題が発生した例もあり(参考)、問題点も認識され、単純な成果主義制度を取る企業は少ない。 また、これらの流れとは別に、労働者保護や差別撤廃、生活スタイルの変化などの社会からの要請に応える形で、男女雇用機会均等法や育児・介護休業法等の新制度創設や規制の強化(場合によっては規制緩和)などが適宜行われている。
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