戦後の日本帰化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:25 UTC 版)
終戦後、朝鮮半島南部に建国された大韓民国や、北部に建国された朝鮮民主主義人民共和国には行かず、東京で日本人として生きることを決意する。1947年(昭和22年)5月、新憲法発布に伴って公族の身位を喪失すると「桃山虔一」と名乗った。「桃山」の姓は、明治天皇の桃山御陵にちなんでおり、昭和天皇の了承を得た上で選定した。妻・誠子も字を改め桃山佳子となり、2男1女もそれぞれ日本風の名に改名した。1955年(昭和30年)、日本国籍を取得して桃山虔一が戸籍名となる。 父・李堈の散財によりもともと資産が乏しく、終戦時の東京邸には5万円の現金しかなかった上、新憲法発布によって日本政府からの歳費が途絶えたため、宮内省(新憲法下で宮内府、宮内庁に改組)から内密で毎月1万円を贈られていたが、間もなくGHQに知れて送金を停止された。「陸軍将校」のため公職追放にも遭っている。このため、渋谷駅のバラック建ての一廓に3坪余のお汁粉屋「桃屋」を開業した。このほか、陸軍大学校でドイツ語の兵学教官を務めた経歴を生かしてドイツ語の翻訳業に転じたものの注文は少なく、その後は農園経営や謄写版のガリ版書き、書籍取次の栗田書店勤務など、転々と職を変えた。
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