規制の強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/02 15:40 UTC 版)
無法化する大西洋岸での取締まり強化を目的としてアメリカ政府は1924年、沿岸警備隊の補強予算として1400万ドルもの予算を成立させた。これによって高速警備艇やモーターボートが取り入れられたほか、海軍より20隻の魚雷駆逐艦と2隻の掃海艇を譲り受け、ラム・ランナーに対抗しようとした。 また、北大西洋ルートを通る密輸業者にはイギリス人を中心とした組織が多くあったことなどから、1922年ごろよりイギリス政府へ働きかけをはじめ、1924年1月、ワシントンにて密輸入酒会議が開催され、領外拿捕に関する政府間条約が取り付けられた。これによってアメリカの海岸線から1時間以内で到達できる航行距離内においてアメリカ係官による臨検、積荷の押収、船舶の拿捕が行えるようになった。同様の条約は順次、デンマーク、ノルウェー、パナマ、フランス、ドイツ、オランダ、カナダなどとも締結された。 こうした警備体制の強化により、1921年には23隻だった密輸船捕獲数は1927年には353隻となり、酒屋通りでの密輸行為は激減した。当時の財務長官であったアンドリュー・メロンは「悪名高い酒屋通りを全て排除した」と宣言するに至った。
※この「規制の強化」の解説は、「酒屋通り」の解説の一部です。
「規制の強化」を含む「酒屋通り」の記事については、「酒屋通り」の概要を参照ください。
- 規制の強化のページへのリンク