自社発注車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:13 UTC 版)
キハ42002形からキハ900形はすべて常総筑波鉄道時代に日本車輌製造東京支店で新製された車両である。いずれも「バス窓」で製造された。キハ500・800・900形は製造時からステップは取付けられていなかった。 キハ42002形(42002):1955年に1両のみ製造された正面2枚窓・両運転台車。バス窓3扉の軽快な車体と、オールコイルばねの新型台車を持つが、駆動系は国鉄キハ42500形類似。当初は機械式であったが1965年に総括制御・片運転台化されキハ703形(703)に改番。元国鉄キハ42000形であるキハ704形(やはり片運転台化、703から切断した運転台前面を装着する珍しい改造を受けた)と編成を組んでいた。晩年はステップを撤去し、車体中央のドアを両開きに改造した上で使用されていた。 キハ48000形(48001・48002):1957年製造の両運転台車で、常総筑波で初の液体変速機搭載車になったが総括制御ができず、総括制御仕様になったのは1961年。新製当初はクロスシートで、同年7月から新設の常総筑波特急「しもだて」に投入。当時の路線最高速度は75km/hに過ぎなかったが、下妻のみ停車のダイヤで常総線全線を60分で走破した(この速度は1960年代初頭には停車駅増加でダウン、以後の常総線規格向上を経てもこの列車を上回る速度の全線直通列車は現れていない)。のち1963年にロングシート化、キハ700形(701・702)に改番された。晩年はステップを撤去し、車体中央に両開ドアが増設されて3ドア車となっていた。 キハ500形(501 - 502):常総筑波鉄道近代化のため、1959年に5両が製造された。両運転台の18m級気動車。乗降性を高めるため、ホーム打ち上げ工事を伴った低床化とステップ廃止を打ち出し、水平シリンダエンジンを採用、5両中2両には空気バネ台車を採用したことでも画期的であった。当初すべて筑波線に配置されたが、501・502がロングシート化して常総線に転入した。エンジンは当初バス用の日野DS-40Cであったが、後にDMH17Hに換装した。 キハ800形(801 - 805):1961年製造の両運転台の20m級気動車。全車空気バネ台車を装備。1965年、全車ロングシート化して常総線に転入した。同型車として同和鉱業小坂鉄道(1994年旅客営業廃止)キハ2100形がある。 キハ900形(901・902):1963年製造の片運転台車。前面形状が国鉄キハ35系気動車に類似する片開き3扉車。台車は空気バネ式。901+902の組み合わせで運用されることが多かったが、中間にキサハを入れて運用されることもあった。 キホハ51形(51・52):1932年製。常総鉄道初のボギー式ガソリンカーである。キホハ51→キハ51→キハ313(初代)→キサハ52 キホハ52→キハ52→キサハ51 キホハ60形(61・62):日本車両製のボギー式ガソリンカー。キホハ61は1935年製で、1段窓である。後にキハ305となり、戦後まもなく筑波線へ移り廃車時は竜ヶ崎線に所属していた。1936年製のキホハ62はのちに付随車キサハ54となる。 キホハ100形(101・102):1937年に日本車輌で新製。しかし、すぐにキホハ301・302に改番された。その後キホハ81・82に改番され、ディーゼル化と同時にキハ81・82となった。キハ82は1958年に事故に遭い、車体を更新し、窓が広くなったり、正面の窓がHゴムになったりした。 キハ41020形(41021):国鉄キハ41000とほぼ同形。買収気動車払下げ車の北九州鉄道ジハ20の台車を使って、1952年に日本車輌で製造された。キハ41000と違い、ステップがないのが特徴。名義上はジハ20の譲受となっている。後に台車をTR26に交換した。 キサハ53形(53):1957年日本車輌製。当初はホハ1001だったが、「ホハ」は客車の記号なので、すぐにキサハ53に改番された。後にエンジンを積んで両運転台のキハ511(初代)となり、1970年に再びエンジンをおろして両運転台のままキクハ11となった。最初から気動車型の形態を備えていたにも関わらず、同年同メーカー製造のキハ48000と違ってウインドシル・ウインドヘッダーを残す古臭い形態で、窓も旧型気動車風の二段窓であった。
※この「自社発注車」の解説は、「関東鉄道常総線」の解説の一部です。
「自社発注車」を含む「関東鉄道常総線」の記事については、「関東鉄道常総線」の概要を参照ください。
自社発注車(1 - 6)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/26 04:08 UTC 版)
「小倉電気軌道の電車」の記事における「自社発注車(1 - 6)」の解説
1 - 6は小倉電気軌道が開業時および延長時に自社発注した車両。1 - 5は1920年(大正9年)の電化開業の際に枝光鉄工所で製造された。この5両は屋根が二重屋根となっており、前面両端の窓上に方向幕を設置し、出入台はオープンデッキ、前照灯は取り外し式で、前面下部に救助網を設けていた。その後、1927年(昭和2年)に香春口 - 旦過橋間の延長に伴い日本車輌製の6を増備した。6は屋根が丸屋根となっていた。 合併後は301 - 306となった。戦後の改造で窓下に固定式の前照灯を設置し、出入台部分に折り戸を設置し、方向幕を前面中央窓上部に移設した。
※この「自社発注車(1 - 6)」の解説は、「小倉電気軌道の電車」の解説の一部です。
「自社発注車(1 - 6)」を含む「小倉電気軌道の電車」の記事については、「小倉電気軌道の電車」の概要を参照ください。
- 自社発注車のページへのリンク