車両史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:43 UTC 版)
富士屋自働車が初期に導入した「ホワイト」 富士箱根自動車の「サウラー」 路線バス車両は、富士屋自働車では当初はビュイックの乗用車を利用し、ラジエター上に行き先を掲出しただけであった。富士屋ホテルの宿泊客から意見を集めた上で、アメリカの高級車ホワイトを導入した。当初はシャーシのみ輸入し、車体は日本国内で製造させていたが、1923年にはアメリカのベンダー車体製造に依頼して製造させた車体をホワイトに架装して輸入、さらに詳細な図面を取り寄せた上で日本自動車に依頼して、日本国内で車体を製造させた。これがその後日本国内で製造されるバス車体の原型となったといわれている。 一方、箱根登山鉄道の自動車部門では、富士屋自働車に対抗して、スイス製の高級車であるサウラーが導入された。この車両は右ハンドル仕様ではあったが、スイス国内で使用される車両と同様にオープンタイプで、車体も含めて全てスイスから輸入されたものと推測されている。五十嵐平達は「活躍した場所から考えても、1930年代の遊覧バスを代表する1台」であるとしている。富士箱根自動車となってからもサウラーなどの大型車が導入された。 戦時中は他社と同様に代用燃料に対応させた車両が使用されたが、代用燃料車両では箱根を登りきることができず、宮ノ下で別のバスに乗換えを余儀なくされたという。 戦後にはディーゼルバスが順次導入され、1953年からは日野自動車(日野)のセンターアンダフロアエンジン車が大量導入された。
※この「車両史」の解説は、「箱根登山バス」の解説の一部です。
「車両史」を含む「箱根登山バス」の記事については、「箱根登山バス」の概要を参照ください。
- 車両史のページへのリンク