徳川頼宣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 08:28 UTC 版)
徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、紀伊和歌山藩の初代藩主。紀伊徳川家の祖。幼名は長福丸[1]、元服に伴い頼将(よりのぶ)と名乗り、元和年中に頼信、さらに頼宣に表記を改める[注釈 1]。なお、頼将(よりまさ)と読む文献もある[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 藩主人名事典編纂委員会 1987, p. 267.
- ^ 長谷川 2011, pp. 129.
- ^ 勝浦市史編さん委員会 編『勝浦市史 通史編』2006年、406頁。
- ^ a b c d 藩主人名事典編纂委員会 1987, p. 266.
- ^ 藩主人名事典編纂委員会 1987, pp. 266–267.
- ^ 小山誉城「紀州徳川家の参勤交代」『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版、2011年。
- ^ 小山誉城「徳川頼宣の晩年」『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版、2011年。
- ^ 生前の徳川家康と加藤清正の約定に拠る婚姻であるが、婚姻時は双方が死去していたため、瑤林院の生母の兄の水野勝成が婚姻上の養父となった。
徳川頼宣と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から徳川頼宣を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から徳川頼宣を検索
- 徳川頼宣のページへのリンク