小田川 (高梁川水系)とは? わかりやすく解説

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小田川 (高梁川水系)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 07:57 UTC 版)

小田川
橋(矢掛町・笠岡市)から西望
水系 一級水系 高梁川
種別 一級河川
延長 72.9 km
平均流量 -- m3/s
流域面積 492 km2
水源 神石高原(広島県)
水源の標高 -- m
河口・合流先 高梁川(岡山県)
流域 広島県岡山県
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小田川(おだがわ)は、高梁川水系支流で、広島県東北部から岡山県西部を流れる一級河川である。

概要

広島県神石郡神石高原町上・光信地区周辺に源を発し、吉備高原[注釈 1]を南東方向に流れる。神石高原町南部から福山市北部の山野地区にかけて石灰岩地質の吉備高原を侵食しながら渓谷を形成し、山野峡(猿鳴峡)を抜けて岡山県井原市に入り、天神峡を抜けて井原市街で東方面に流れを転じた後、笠岡市北端の北川地区や小田郡矢掛町を経て、2023年度末までは倉敷市真備町総社市との境界部分で高梁川へ注ぐ。平成30年7月豪雨による災害を受け、2023年度末の竣工を目指し、高梁川の合流点をせき止めて約3km下流へ付け替える工事を実施。2023年度末の工事完成後は、倉敷市真備町と総社市の境界部より南方に流れの向きを変え、柳井原貯水池を経て倉敷市水江・同市船穂町・同市西阿知町の境界部で高梁川に合流する[1][2][3]

河川データ

歴史

元和5年まで備中国井原村(現在の井原市井原町)より二派に分かれていた[4]。東西に分流し、東派川は現在の流れに近い流路を、西派川は山裾を西流して、現在の高屋川などと合流して芦田川に流れ込んでいたと考えられている[8]。それを物語るように、井原市の中心市街を形成する井原町の地形は扇状地状となっている。

備後福山藩の初代藩主であった水野勝成が、福山城築城の際に氾濫の水禍を恐れて、東派川に一本化し、支流の雄神川と合わせて「山野川」と称した[4]。小田川上流にはかつて備後国安那郡山野村(現在の福山市山野町山野)が、雄神川上流はかつて備中国後月郡山野上村(現在の井原市野上町)があった。伊能忠敬の『日本図(中図)』には、「吉井川」と記載され[6]、備中国下道郡矢田村(現在の倉敷市真備町箭田)から南下して浅口郡乙島村(現在の倉敷市玉島乙島)と連島西之浦(現在の倉敷市連島町西之浦)の間にて瀬戸内海水島灘)へ注ぐ流路が描かれている[6]明治維新後に現在の河川名である「小田川」に改められた[4]

平成30年7月豪雨での堤防決壊現場。
平成30年7月豪雨で大きな被害を出した真備地区

流域では集落や産業が古くから発達[9]。中下流域に沿って旧山陽道が通り、川辺宿、矢掛宿などの宿場町が並び栄えた。また明治時代まで高瀬舟が通じ、旧山陽道の間宿であった今市(現在の井原市西江原町今市)では回船問屋の大坂屋が営業を行っていた[9]。この初代の大坂屋久左衛門は備後福山および水野勝成と関係の深い人物である[10]。なお、中下流域はJR山陽本線昭和以降の国道2号傾動地塊を避けて南の旧鴨方往来沿いに通ったことで物流の変化が生じ、衰微した。

水害

明治中期から治水工事が行われてきたが、出水時に高梁川の合流点からの逆流でしばしば氾濫を起こす[9]

20世紀では、1972年7月中旬、昭和47年7月豪雨氾濫し、流域の岡山県部分のうち3.96平方キロメートルが浸水、床上625棟・床下322棟の建物被害があった[11]1976年9月の昭和51年台風第17号で、同じく3.89平方キロメートル・床上873棟・床下1034棟が水に浸かった[11]1979年(昭和54年)・1981年(昭和56年)・1985年(昭和60年)・1998年平成10年)にも洪水による浸水被害が生じた[11]

21世紀に入ってからは、2018年7月7日平成30年7月豪雨で支川の高馬川・真谷川(またにがわ)・末政川を含め8か所で堤防決壊し、倉敷市真備町の約12平方キロメートルが冠水[12][13][14]、4000棟以上の建物に浸水した。原因として、小田川が本川の高梁川に合流する箇所で、バックウォーター現象が発生したものとされる。また、矢掛町では約600棟、井原市では約300棟に浸水被害があった[15]。さらに上流の広島県福山市山野町の山野峡でも氾濫し、キャンプ場が利用不能となる被害があった[16]。 国土交通省は、水害対策として小田川と高梁川の合流点を下流に付け替える工事に着手。川沿いの山を掘削するなどして合流点を約4.6km下流に付け替える工事を行った[17]

地理

流域の自治体

並行する交通

鉄道

道路

河川施設

計画中止

天神ダム

天神ダム(てんじんダム)は、井原市芳井町の天神峡渓谷に堰堤を構築し、笠岡湾干拓地灌漑用水や工業用水の確保と発電、小田川の洪水調節を行う多目的ダムとして計画されていた[18][19]

1957年(昭和32年)5月に防災ダムとして建設構想[18]があり、1959年(昭和34年)11月の案では、ダム堰の高さ約41メートル[18]、有効貯水量1138万4000立方メートル[18]とし、笠岡湾干拓地への導水は井原市芳井町梶江字飯名(当時は後月郡芳井町大字梶江字飯名)より取水し、延長約11.2キロメートル[18]の導水路をもって笠岡市東大戸で吉田川に放流し、城山下付近に予定されていた遊水池で再び取水して送るという計画であった[20]

1960年(昭和35年)から概要調査[19]1964年(昭和39年)から実施設計[19]を経て、1967年度(昭和42年度)から着工予定[19]だったが、建設によりダム下流自治体となる井原市(当時は芳井町未編入)や井原商工会議所が反対[21]1966年(昭和41年)11月に笠岡湾干拓地への水源確保を高梁川水系成羽川新成羽川ダムに変更[22]、これにより同年12月に中止となった[23]

柳井原堰

柳井原堰(やないはらせき)は、倉敷市の柳井原貯水池を貫流するように小田川を付け替え、柳井原貯水池から高梁川への合流部に堰堤を構築し、小田川の治水と水島コンビナートを中心に渇水にあえぐ高梁川下流地域の水源開発を目的にダム)として計画されていた[24]

1968年(昭和43年)に建設省(当時)が構想を発表[25]したが、建設予定地の自治体の一つであった浅口郡船穂町(当時)が建設に反対[26]。しかし、船穂町は1995年(平成7年)2月に建設省および岡山県との間で柳井原堰建設の覚書を締結[26]し、1997年(平成9年)からの建設に合意[26]2008年(平成20年)頃に竣工予定[26]だったが、2002年(平成14年)6月10日に当時の岡山県知事であった石井正弘が突如建設中止を表明[26]し、同年秋に国土交通省中国地方整備局に申し入れて中止となった[27]

同名河川

倉敷市と福山市には、同一河川名の二級河川が存在する。他の同名河川は小田川を参照。

  • 小田川 (倉敷市児島)
  • 小田川 (芦田川水系)
    • 芦田川水系の河川。福山市津之郷町北部の山中に端を発し、同市山手町を経て、同市神島町・神島町の境界で河手川に合流する。河手川合流後、約2kmの同市草戸町内で河手川は芦田川と合流。さらに芦田川合流後、約6km南流して芦田川は瀬戸内海に注ぐ。

脚注

注釈

  1. ^ 吉備高原のうち、神石高原町一帯については「神石高原」という通称で呼ばれることもある。
  2. ^ 東派川一本化後に支流の雄神川とともに称した[4]
  3. ^ 福山市山野町においての呼称[5]
  4. ^ 井原市以北でのかつての呼称。
  5. ^ 伊能忠敬の『日本図(中図)』に掲載されている名称[6]
  6. ^ 井原市以東でのかつての呼称。

出典

  1. ^ 小田川水系河川整備計画ホームページ - 岡山河川事務所2023年1月閲覧
  2. ^ 川の付け替えで山をぶち抜く、西日本豪雨の被災地で進む背水対策 | 日経クロステック(xTECH)2023年1月閲覧
  3. ^ 岡山・倉敷市の治水対策 小田川の付け替え工事 完成は2023年度末の予定 | KSBニュース | KSB瀬戸内海放送2023年1月閲覧
  4. ^ a b c d 藤原隆景 2013, p. 10.
  5. ^ 「やまの」編集委員会 2009, p. 50.
  6. ^ a b c 日本国際地図学会伊能忠敬研究会 2002, p. 152.
  7. ^ 岡山県 2010, p. 1.
  8. ^ 岡山県大百科事典編集委員会 山陽新聞社出版局 1980, p. 191.
  9. ^ a b c 岡山県大百科事典編集委員会 山陽新聞社出版局 1980, pp. 512–513.
  10. ^ 官浪辰夫. “豪商 大坂屋久左衛門 (ウェイバックマシン)”. 2016年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月20日閲覧。
  11. ^ a b c 岡山県 2010, pp. 4–5.
  12. ^ “岡山県豪雨被害が拡大、3人死亡 9河川決壊、倉敷で家屋多数水没 (ウェイバックマシン)”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2018年7月8日). オリジナルの2018年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180708074313/http://www.sanyonews.jp/article/746723 2018年7月8日閲覧。 
  13. ^ “倉敷・真備の堤防3カ所決壊確認 豪雨浸水被害で国交省調査団 (ウェイバックマシン)”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2018年7月8日). オリジナルの2018年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180710163928/http://www.sanyonews.jp/article/747796 2018年7月16日閲覧。 
  14. ^ “西日本豪雨 6カ所決壊、真備支流 岡山県が20年放置 (ウェイバックマシン)”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2018年7月14日). オリジナルの2018年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180714031046/https://mainichi.jp/articles/20180714/k00/00m/040/209000c 2018年7月16日閲覧。 
  15. ^ “土砂崩れ続き井笠地域は被害甚大 決壊の小田川では重機で復旧作業 (ウェイバックマシン)”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2018年7月14日). オリジナルの2018年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180716111708/http://www.sanyonews.jp/article/751342 2018年7月16日閲覧。 
  16. ^ “福山・山野峡のキャンプ場閉鎖 豪雨影響、龍頭滝の遊歩道も (ウェイバックマシン)”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2018年7月26日). オリジナルの2019年1月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190104175951/http://www.sanyonews.jp/article/757988/1/?rct=kisyou_saigai 2019年1月4日閲覧。 
  17. ^ 「バックウォーター現象」で堤防決壊、河川合流点を5km下流に付け替え…住民「安心に一歩近づいた」”. 読売新聞 (2023年10月30日). 2023年10月30日閲覧。
  18. ^ a b c d e 笠岡市史, p. 674.
  19. ^ a b c d 芳井町誌 1972, p. 530.
  20. ^ 笠岡市史, pp. 674–675.
  21. ^ 笠岡市史, p. 677.
  22. ^ 笠岡市史, p. 678.
  23. ^ 芳井町誌 1972, pp. 530–531.
  24. ^ 一井純 2018, pp. 1-2 (Web).
  25. ^ 一井純 2018, p. 1 (Web).
  26. ^ a b c d e 一井純 2018, p. 2 (Web).
  27. ^ 一井純 2018, p. 3 (Web).

参考文献

外部リンク




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