尊攘派の蹉跌とは? わかりやすく解説

尊攘派の蹉跌(1863年 - 1864年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:21 UTC 版)

幕末」の記事における「尊攘派の蹉跌(1863年 - 1864年)」の解説

この頃京都尊王攘夷派志士集い、「天誅」と称して反対派暗殺するなど、治安極端に悪化していた。安政の大獄に関わった九条家家臣島田左近暗殺端を発したこれらのテロ行為は、幕臣公家恐怖に陥れた。逆に尊攘派の代表と見られ姉小路公知暗殺される事件朔平門外の変)や尊攘志士本間精一郎暗殺される事件起きた岩倉具視公武合体派公家排除され三条実美尊王攘夷派公家朝議を動かすようになり、公武合体派勢力低下した。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}長州藩8000と言われる駐在兵を京都に置き、シンパ含めれば三動員できるとされた[要出典]。 こうした尊攘派により討幕が行われることを憂う孝明天皇思惑とは裏腹に尊王攘夷派真木和泉らは討幕王政復古実現させるべく運動し1863年9月25日文久3年8月13日)、天皇神武天皇陵春日大社行幸して攘夷祈願して親征軍議を行うという詔が出る。これを受け、かねてより中川宮朝彦親王を介して天皇真意知っていた薩摩藩高崎左太郎は、会津藩秋月悌次郎通じて松平容保説いた。容保は帰藩途中会津藩兵を呼び戻し中川宮とともに綿密な計画練り天皇同意のうえで薩摩藩30日文久3年8月18日)に宮廷御門制圧し長州藩兵および三条ら7人の公卿長州撤退させるクーデタ決行し八月十八日の政変七卿落ち)、真木久坂玄瑞長州藩系の尊攘勢力一掃成功したいっぽう1864年2月7日文久3年12月30日以降徳川慶喜松平春嶽松平容保伊達宗城宇和島藩主)・島津久光による初の諸侯会議となる参預会議開催され神奈川鎖港談判長州藩処置大坂港防備強化などの議題話し合われた。春嶽・久光諸侯自論開国論唱えるが、幕府代表する慶喜横浜鎖港主張して対立し結局幕府思惑どおり何の実績あげられぬまま、翌年3月解散となった。春嶽らは帰国し参預会議体制はわずか数ヶ月しか持たなかった。薩摩藩これを機に幕府慶喜との確執深めていくこととなる。この後朝廷から禁裏御守衛総督摂海防禦指揮に任ぜられた慶喜は、京都守護職松平容保会津藩主)・京都所司代松平定敬桑名藩主)兄弟とともに江戸幕閣から半ば独立した動きをみせることとなる(一会桑体制)。 この頃各地尊攘過激派による実力行使動き見られたが、いずれも失敗終わっている。1863年9月29日文久3年8月17日)、大和では公卿中山忠光吉村寅太郎池内蔵太土佐藩士)、松本奎堂三河刈谷藩士)、藤本鉄石岡山藩士)、さらには河内大地主水郡善之祐らも加わった天誅組の変勃発し続いて但馬では澤宣嘉前年京都から追放され七卿一人)・平野国臣福岡藩士)らによる生野の変連鎖的発生した。また土佐藩では一藩勤皇唱えた武市瑞山率い土佐勤王党前年に藩執政吉田東洋暗殺)が公武合体戻った藩主山内豊信により弾圧され尊攘勢力後退した。 さらに水戸藩では1864年5月2日元治元年3月27日)、藤田小四郎武田耕雲斎天狗党筑波山挙兵水戸藩要請受けた幕府軍追撃により壊滅させられる事件発生した(→天狗党の乱)。 このような状況下、前年八月十八日の政変以降影響力減退していた尊王攘夷派中心長州藩では、京都への進発論が沸騰折から京都治安維持当たっていた会津藩預かり新撰組が、池田屋事件長州藩など尊攘派志士数人殺害したため、火に油を注ぐこととなり、ついに長州藩兵は上京1864年8月20日元治元年7月19日)、京都守備当たっていた幕府会津薩摩軍と激突し御所周辺巻き込んだ合戦が行われた(→禁門の変)。この戦で、一敗地にまみれた長州藩逆賊となり京から追放され幕府から征伐軍派遣されることとなる。さらに9月5日元治元年8月5日)には、前年下関における外国砲撃報復として、イギリス・フランス・アメリカ・オランダ4国の極東艦隊連合して下関攻撃装備に劣る長州はここでも敗れ長州藩窮地陥った四国艦隊下関砲撃事件)。

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