尊徳・金治郎像とは? わかりやすく解説

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尊徳・金治郎像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:02 UTC 版)

二宮尊徳」の記事における「尊徳・金治郎像」の解説

各地小学校などに多く建てられた、背負いながら本を読んで歩く姿(「負薪読書図」と呼ばれるに関する記述は、明治14年1881年発行の『報徳記』が初出である。そこには「大学の書を懐にして、途中歩みなから是を誦し、少も怠らず。」とある。この「書を懐にして」を、「懐中」か「胸の前で持って」と解釈するかは判断に迷うところだが、金治郎像では後者解釈されている。ただし先述のように『報徳記』の尊徳幼少期記述信憑性薄くこのような姿で実際に歩いていたという事実があったか疑問が残る。 『報徳記』を基にした幸田露伴著の『二宮尊徳翁』(1891年10月)の挿絵小林永興画)で、はじめて「負薪読書図」の挿絵使われた。ただし、これ以前から既にこの図様に近い少年像は存在していた。金治郎の肖像画ルーツ中国の「朱買臣図」にあり、これが狩野派伝統的な画題として代々伝わりその末裔永興もこれを参考にしたと想定される確認されている最初のこの姿の像は、明治43年1910年)に岡崎雪聲東京彫工会に出品したのである明治37年1904年以降国定教科書修身象徴として尊徳が取り上げられるようになった小学唱歌にも『二宮金次郎』という曲がある。しかし、修身国定教科書には金治郎の逸話取り上げられたものの、「負薪読書図」は一度掲載されていない。「負薪読書図」が広まったのは売薬版画引札子供向け伝記類による。 これらの学校教育や、地方自治における国家指導に「金治郎」が利用され経緯には、尊徳の実践した自助的な農政モデルとして、自主的に国家献身奉公する国民育成目的とした統合政策の展開があった。この「金治郎」の政治利用は、山縣有朋中心とする人脈によって行われていた。特に平田東助岡田良平一木喜徳郎らによる指導大きかった小学校校庭などに見られる「金治郎像」は、彼らの政策によって展開され社会環境前提として、国家政策論理同調することで営業活動行った石材業者や石工らによって普及したとされる小学校建てられた「金治郎像」で最古のものは、大正13年1924年)、愛知県前芝村立前芝高尋常小学校(現豊橋市立前芝小学校)に建てられたものであるその後昭和初期地元民卒業生寄付によって各地小学校に像が多く建てられた。立像大きさは1mとされ、子供たちに1mの長さ実感させるのに一役買ったともいわれる実際のところは、立像きっかり1mではないことが多い。これは、昭和15年1940年)頃に量産され特定のに関する逸話一人歩きしたものと考えられる。この像が戦後GHQ指令により廃棄されといわれることがあるが、二宮尊徳占領下昭和21年1946年)に日本銀行券1円券)の肖像画採用されていることからも、像の減少GHQは特に関係は無い。戦前の像は青銅製のものが多いが、ほとんどが第二次世界大戦中金属供出によって撤去されたため、混同されたものと考えられる金属供出に際して教育的配慮として、教師児童立会いの下で像にたすきをかけて壮行式挙行し、戦地送り出したり、撤収後台座に「二宮尊徳先生銅像大東亜戦争ノタメ応召」の立てられたこともあった。 半藤一利は、像が金属供出される前の時期に、銅像本に書かれている内容調べたことがある各学校によって刻まれ文字異なり、「忠孝」の二文字、または『論語』や『教育勅語』の一節刻まれるもの、あるいは白紙のものまであった記している。 石像その後時代残ったまた、残った台座の上に、新たに銅像コンクリート像などがつくられることもあった。像のように背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をして本を読みながら道路を歩くと交通安全問題があることから、1970年代以降徐々に撤去され、像の数は減少傾向にあるほか、「現在の児童教育方針合わない」などの理由で、破損して補修難色を示す教育委員会もある。岐阜市歴史博物館調べによると、市内小学校の55.1%に「二宮金治郎像」が存在し2001年現在)、近隣市町村含めると、58.5%の小学校に「二宮金治郎像」が存在するまた、平成15年2003年)に小田原駅改築され橋上化された際、デッキに尊徳の像が新しく立てられた。 2010年代入って歩きスマホ危険性社会問題になったが、この問題受けていまいち一円会」が2016年日光市立南原小学校寄贈した石像立像ではなく座像となっている。 なお、学校の怪談では、「二宮金治郎像」が夜中校庭駆け回るという話が典型的に語られている。

※この「尊徳・金治郎像」の解説は、「二宮尊徳」の解説の一部です。
「尊徳・金治郎像」を含む「二宮尊徳」の記事については、「二宮尊徳」の概要を参照ください。

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