尊属殺人で無期懲役刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:37 UTC 版)
「熊本母娘殺害事件」の記事における「尊属殺人で無期懲役刑」の解説
1962年9月15日、M(当時32歳)は熊本市内で妻Xとその実母乙(=Mの義母)から別れ話を切り出されたことに逆上して乙を刺殺し、Xにも重傷を負わせる尊属殺人・殺人未遂事件を起こした。同日夕方、M・X夫婦は熊本市内にあったXの養父母(Mの義父母・甲夫婦)宅で、乙や仲人を務めたXの養父母(甲夫婦)を交え、計5人で離婚に向けた話し合いをしていたが、Mはその話し合いの場で「働きもせずに妻Xに暴力を振るっている」と非難された。これに対しMは「ならば金を取ってきてやる」と言い残していったん義父母宅を飛び出したが、その直後に近所の金物屋で乙・X母子を殺害するための凶器として切り出しナイフを購入した。 その一方でMが話し合いの場を飛び出したまま戻ってこなかったため、20時ごろに乙・X母子は義父母・甲夫婦宅を出て当時乙が住んでいた甲佐町の実家に戻ろうとし、バス停留所(熊本市辛島町〈現:熊本市中央区辛島町〉の熊延鉄道バス〈現:熊本バス〉)へ向かった。2人がバス停へ着いたところ、待合室にはM本人が待ち伏せていたが、Mは乙へ「Xとしばらく話をさせてください」と穏やかな口調で求めてきたため、安心した乙はXをMと2人で話し合わせることを了解し、2人は乙から少し離れた位置で話し始めた。しかしMはXに「子供がかわいくないのか。帰ってきてくれ」と言ったところ、Xから「子供は私が引き取るから、もう別れてほしい」と返答されて逆上し、懐に隠し持っていた切り出しナイフを取り出してXの脇腹・胸を計2回突き刺した。数メートル離れた先から様子を見ていた乙は、悲鳴を上げてうずくまるXを助けようと近づいたが、自らもMに襲い掛かられ、切り出しナイフで胸・腹を何度も突き刺された。 乙・X母娘がナイフで襲われる姿を近くで目撃していた人が2人を熊本大学医学部附属病院まで搬送して手当てしたが、肝臓・胃を貫通する致命傷を負った乙は刺されてから1時間後に出血多量で死亡し、Xも肺・横隔膜を切り裂かれる重傷を負った。加害者Mは熊本県警察熊本北警察署(現:熊本中央警察署) に被疑者として逮捕され、義母乙に対する尊属殺人罪・妻Xに対する殺人未遂罪に問われ、同年11月22日に熊本地方裁判所(松本裁判長)で熊本地方検察庁の求刑通り無期懲役判決を受けた。判決後、当時被告人Mが収監されていた拘置所担当の弁護士(被告人Mの弁護人)は「後悔しないように控訴した方がいい」と提案したため、被告人Mはこの無期懲役判決を不服として福岡高等裁判所へ控訴したが、その後自ら控訴を取り下げて第一審・無期懲役判決を確定させ、熊本刑務所に服役した。Mは服役中も犯行への反省の念を抱かず、逆に自由のない過酷な刑務所内での服役生活から「なぜ俺がこのような苦しい目に遭わなければいけないのだ。Xの母乙を殺したのも、Xの伯父(甲)夫妻が一方的に俺を悪者に仕立て上げてXに別れ話を仕向けたからだ」と逆恨みの念を抱き続け、出所後にXの親族に復讐することだけを考えながら服役生活を送っていた。一方、事件当時にMが元妻Xとともに住んでいた家は事件直後に叔母夫婦が処分していたが、叔父は服役中のMと面会した際にMが矯正していないことを知らず、「立派に刑期を終えて出てきたら住む家ぐらいは用意してやる」と口約束していた。
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