国 (姓)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 17:05 UTC 版)
国(こく、くに)は、姓の一つ。
中国の姓
国 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 國 |
簡体字: | 国 |
拼音: | Guó |
注音符号: | ㄍㄨㄛˊ |
ラテン字: | Kuo |
広東語発音: | Gwok3 |
上海語発音: | Koh4 |
台湾語白話字: | Kok |
2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っておらず[1]、台湾の2018年の統計では442番目に多い姓で、205人がいる[2]。
中国の国氏は複数の起源を持つとされる。
- 姜姓を出自とする系統である。春秋時代、斉国の上卿に国氏があり、これは周の天子により任命された輔政の正卿で、斉国の公族の一員であったと伝えられる。田氏による斉国の簒奪の後、国氏の一族は莒国に逃れ、その後、氏として定着したとされる。
- 姫姓を出自とする系統である。春秋時代、鄭国の公族である公子発(字は子国)の子孫が、祖先の字に由来して「国」を氏とした例が知られている。
- 百済を起源とする系統である。百済は高句麗の王子温祚により西漢末期に建国された国家であり、国氏はその八姓貴族の一つに数えられる。『三国史記』によれば、百済滅亡後、その王族や貴族の一部は唐・新羅の連合軍により洛陽へ連行され、のちに中原に定住した。その過程で漢化が進み、今日の「国」姓の一支流、いわゆる「河洛国氏」が形成されたとされる。
著名な人物
朝鮮の姓
こく | |
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各種表記 | |
ハングル: | 국 |
漢字: | 国 |
発音: | クク、クㇰ |
日本語読み: | こく |
英語表記: | Guk, Kuk, Kook, Kuk, Gook, Kug, Gug, Cook |
国(こく、朝: 국、クㇰ、クク)は、朝鮮人の姓の一つである。
著名な人物
氏族
百済の大姓八族:사(沙)(サ)・연(燕)(ヨン)・협(刕)(ヒョプ)・해(解)(ヘ)・진(眞)(チン)・국(國)(クク)・목(木)(モク)・백(苩)(ペク)の一つ。
氏族(地域) | 創始者 | 人口 | 世帯数 | 割合 (%) (2000年) |
---|---|---|---|---|
豊川国氏 | 59人 | 14世帯 | 2.7% | |
玄風国氏 | 94人 | 23世帯 | 4.31% | |
英陽国氏 | 76人 | 25世帯 | 3.48% | |
金城国氏 | 317人 | 85世帯 | 14.53% | |
大明国氏 | 1,175人 | 368世帯 | 53.85% |
一方、2015年の調査では潭陽国氏が23人いる。残りの14人の本貫は不明[3]。
人口と割合
年度 | 人口 | 世帯数 | 順位 | 割合 |
---|---|---|---|---|
1930年 | (世帯のみ調査) | 9世帯 | 250姓中198位 | |
1960年 | 178人 | - | 258姓中178位 | |
1985年 | 978人 | 210世帯 | 258姓中159位 | |
2000年 | 2,182人 | 669世帯 | 286姓中154位 | 0.004745% |
2015年 | 37人[3] |
出典
日本の姓
国 | |
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(家紋)
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本姓 | 百済の「国」;奄美の「国」;琉球の国頭、国場、国吉、越来など |
主な根拠地 | 琉球諸島 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
日本における氏族の一つで、一系は日本本土系氏族、もう一系は渡来系氏族として知られる。
「国(くに)」氏は、天平20年(748年)の『写書所解』において、右京六条三坊の戸主として国百島の名が見える。[4]
一方、「国(こく)」氏は、上記の百済の八姓の一つ「国」に由来するとされ、『日本書紀』や『北史』『太平御覧』などにその名が見える。『日本書紀』欽明天皇紀には「徳率(とくそつ;百済の四品官)国雖多(こくすゐた)」の名が記されており、また宝亀五年(774年)十月条には、「散位従四下国中連公麻呂卒す。本是れ百済国の人也」とあり、彼の祖父・国骨富(くにのこつふ)は天智天皇二年(663年)に百済の滅亡とともに日本に帰化したとされる。公麻呂は奈良の東大寺大仏(盧舎那仏)鋳造の功により、四位の位と「造東大寺次官」を賜ったと伝わる。[4]氏の由来となった大和国葛下郡国中村は、百済系渡来人の集住地であった。のちに「国氏」は、日本の氏族制度に従って、国井(こくい)、国枝(こくえ)、国保(こくぼ)、小倉(こぐら)、小久保(こくぼ)などの複姓に分化したとされる。[5]もとの「国」氏を保つ人もいるとされる。[6]
国姓は奄美群島においても一字姓として存在しており、鹿児島県奄美市、大島郡宇検村湯湾、大島郡瀬戸内町を中心に分布が見られる。[7][8](奄美群島の名字を参照)また、奄美ではこの「国」姓に由来すると思われる改姓例も複数存在する。たとえば、一字姓の「邦(くに)」[9]のほか、「九二(くに)」[10]「佳久(かく)」[11]などは、いずれも「国」姓からの改姓と伝えられる。さらに、「国沢」「国副」「国田」「国馬」「国元」「国本」「国山」などは、「国」にそれぞれ漢字を加えた複姓であり、1953年の日本本土復帰に伴う戸籍整備の過程で成立したと推定されている。
沖縄においては、「国頭(くにがみ、琉:くんじゃん)」、「国場(こくば、琉:くくば)」、「国吉(くによし、琉:くにし)」のように「国」の字を含む苗字が多く見られる。また、明治初期の琉球処分に反対し清国に亡命した脱清人の中には、中国大陸や海外に定住する過程で自らの由緒を簡略化し、姓を「国」に改めた例があったとされる[12]。越来家もその一例とされ、海外に定住する中で、「越来(ぐぃーく)」の音に近い閩東語(福州語)や広東語の発音に合わせて、「国(くをく)」の字を姓に用いるようになったと伝えられている。
著名な人物
脚注
- ^ “《二〇二〇年全国姓名报告》发布_部门政务_中国政府网”. www.gov.cn (2021年2月8日). 2023年1月19日閲覧。
- ^ “全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 285 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。
- ^ a b “KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月16日閲覧。
- ^ a b 太田亮『姓氏家系辞書』磯部甲陽堂、1920年、590頁。
- ^ “苗字辞典”. 埼玉苗字辞典. 2025年6月12日閲覧。
- ^ “国さんの名字の由来”. 名字由来net. 2025年6月12日閲覧。
- ^ “「国」(くに / こく)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力”. 日本姓氏語源辞典. 2025年7月6日閲覧。
- ^ Sakamaki, Shunzo『琉球人名地名辞典: Monographs on and Lists of Personal and Place Names in the Ryukyus』East-West Center Press、1964年 。
- ^ “「邦」(くに)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力”. 日本姓氏語源辞典. 2025年7月10日閲覧。
- ^ “「九二」(くに)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力”. 日本姓氏語源辞典. 2025年7月10日閲覧。
- ^ “「佳久」(よしひさ / かく)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力”. 日本姓氏語源辞典. 2025年7月10日閲覧。
- ^ “国吉”. 沖縄の門中@ ウィキ (2023年10月1日). 2025年6月12日閲覧。
関連項目
国姓
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国姓(こくせい)は、東アジアを中心とした地域で見られる儒教的な世界観および国家観において「君主(もしくは宗室)の姓」を表す概念である。
概要
中国における秦朝の嬴姓趙氏や清の愛新覚羅氏、朝鮮半島における李氏朝鮮の李氏などが国姓の例である。
姓を共有する血族集団が重要な社会構成単位でありつづけてきた儒教文化圏の社会においては、当代において天下を治めている天子の姓と同じ姓を有するということは特別な意味を持った。それゆえに、国姓はしばしば恩典として臣下に下賜されることもあり、東アジアの諸地域においては臣下にとって非常に栄誉あることとされた。このような風習を賜姓という。姓以外に名を与えることは、諱を避ける慣習があった地域では極めて稀であった。
日本の国姓
日本では、姓は臣籍にある者の身分を表すものであるという考え方が歴史を通じて浸透した結果、宗室にあたる皇室は姓を有しておらず、日本全体を支配する宗室の姓としては国姓は存在しない。またこのことと関連して、日本では皇統が一度も替わったことがないと一般に信じられている(万世一系)。このため日本では中国と異なり、栄典として新たに姓を創設して与えた例はあっても(豊臣氏など)、「国姓」が下賜される風習は存在せず、名の一部を与える風習が存在するのみであった(偏諱)。日本史上にも賜姓という語は登場するが、臣下に対する恩典ではなく、血縁の遠い皇族が臣籍降下する際に臣下としての姓を賜ることから来た言葉である。この様に本姓は朝廷との君臣関係に基づくものであったが、近世になると天下人が武家社会を編成する上で武家領主の身分表象としての名字(氏)を下賜している。豊臣秀吉や徳川幕府が、島津氏や前田氏といった有力大名に「羽柴」「松平」(いずれも豊臣秀吉・徳川家康が若い頃に名乗っていた氏)を与えて疑似的な親族として扱ったのがこれに当たる。
国姓に関するエピソード
明と国姓爺
中国明末の武将、鄭成功は明から国姓である朱姓の使用を許されたが、これを憚り国姓爺と称された。
国姓の一覧
中国
モンゴル
朝鮮
雲南
ベトナム
- 南越国 - 趙
- 前李朝 - 李
- 呉朝 - 呉
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- 前黎朝 - 黎
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- 胡氏大虞国 - 胡
- 後陳朝 - 陳
- 黎氏大越国 - 黎
- 南北朝時代
- 阮氏大越国 - 阮(西山阮氏)
- 阮氏大南国 - 阮(広南阮氏)
琉球
関連項目
国姓
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馮氏は5世紀初めの北燕の国姓であった。北燕の馮氏は馮跋 ・馮弘の2代で滅亡したが、その子孫が北魏に入り、3人の皇后を輩出した。
※この「国姓」の解説は、「馮」の解説の一部です。
「国姓」を含む「馮」の記事については、「馮」の概要を参照ください。
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