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四十七士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:57 UTC 版)

赤穂事件の人物一覧」の記事における「四十七士」の解説

氏名事柄役職禄高役割享年辞世など)大石内蔵助良雄おおいしくらのすけよしお(よしたか)国家老1500石(譜代)。討ち入り指導者享年45辞世は「あら楽や思ひ晴るゝ身は捨つ浮世の月にかゝるなし」。 大石主税良金おおいしちからよしかね部屋住み大石良雄長男討ち入りのときは裏門大将をつとめる。最年少同志享年16辞世は「あふ時はかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉」。 原惣右衛門元辰はらそうえもんもととき足軽頭300石(新参)。早くから江戸急進派同調していた。享年56辞世は「君がため思もつもる白雪を散らすは今朝の嶺の松風」。 片岡源五右衛門高房かたおかげんごえもんたかふさ側用人児小姓頭、350石(譜代)。忠臣蔵では浅野長矩切腹の際に最後対面をした。仇討ち強硬に主張し独自の行動とっていた。享年37堀部弥兵衛金丸ほりべやへえかなまる(あきざね)前江戸留守居、前300石、隠居料20石(譜代)。同志のうち最年長者。享年77辞世は「はれて思ひを遂るあしたかな」。 堀部安兵衛武庸ほりべやすべえたけつね馬廻200石。越後国新発田藩出身旧姓中山。父の代に新発田藩放逐となり浪人していたが、高田馬場の決闘での活躍により、堀部金丸婿養子となり、赤穂浅野家家臣となる。仇討ち急進派中心人物討ち入りでは大太刀持って大い奮戦したと伝わる。享年34辞世は「梓弓ためしに引け武士の道は迷はぬ跡と思はば」。 吉田忠左衛門兼亮よしだちゅうざえもんかねすけ足軽頭郡奉行200石役50石(譜代)。浪士の中では大石内蔵助に次ぐ人物として、これを補佐した享年64辞世は「かねてより君と母とにしらせんと人よりいそぐ死出の山道」。 吉田沢右衛門兼貞よしださわえもんかねさだ部屋住み蔵奉行吉田兼亮長男享年29近松勘六行重ちかまつかんろくゆきしげ馬廻250石(譜代)。討ち入りの際に負傷する享年34間瀬久太夫正明ませきゅうだゆうまさあき大目付200石役50石(二代)。享年63間瀬孫九郎正辰ませまごくろうまさとき部屋住み間瀬正明長男享年23赤埴源蔵重賢あかばねげんぞうしげかた馬廻200石(譜代)。忠臣蔵では「徳利別れ」で有名。享年35潮田又之丞高教うしおだまたのじょうたかのり郡奉行絵図奉行200石(譜代)。享年35吉良義央討ち取るとその首級槍先括りつけ引き揚げた。辞世は「武士の道とばかり一筋思ひ立ぬる死出の旅路を」。 富森助右衛門正因とみのもりすけえもんまさより馬廻使番200石(二代)。享年34辞世は「先立し人もありけりけふの日をつひの旅路思ひ出にして」。 不破数右衛門正種ふわかずえもんまさたね元馬廻・浜奉行、元100石(譜代)。浪人していたが懇願して義盟に加わる。討ち入りでは裏門屋外固める役であったが、じっとしてられず中に侵入し二人斬り倒し吉良左兵衛に斬りかかった左兵衛逃げてしまったものの、別の一人と斬りあいをして倒す。斬り合いのしすぎで刀がささらのようになり刃が無くなるほどだったという。討ち入りでは最もめざましい働きをしたと伝わる。享年34岡野金右衛門包秀おかのきんえもんかねひで部屋住み美男忠臣蔵物語では大工の娘を通じて吉良屋敷図面手に入れている。享年24辞世は「その匂ひのあさぢの野梅かな」。 小野寺十内秀和おのでらじゅうないひでかず京都留守居番150石役70石(譜代)。享年61辞世は「今ははや言の葉草もなかりけり何のためとて露結ぶらむ」。 小野寺幸右衛門秀富おのでらうえもんひでとみ部屋住み小野寺秀和養子享年28辞世は「今朝もはやいふ言の葉もなかりけりなにのためとて露むすぶらん」。 木村岡右衛門貞行むらおかえもんさだゆき馬廻絵図奉行150石(譜代)。享年46辞世は「おもひきや我が武士の道ならで御法のゑんにあふとは」。 奥田孫太夫重盛おくだまごだゆうしげもり武具奉行江戸定府150石(新参)。仇討ち急進派中心人物享年57奥田貞右衛門行高おくださだえもんゆきたか部屋住み奥田重盛養子近松勘六異母弟享年26早水藤左衛門満尭はやみとうざえもんみつたか馬廻150石(二代)。刃傷事件第一報江戸から赤穂伝える。享年40辞世は「地水火風空のうちより出し身のたどりて帰るもとのすみかに」。 矢田五郎右衛門助武やだごろうえもんすけたけ馬廻江戸定府150石(二代)。享年29大石瀬左衛門信清おおいしせざえもんのぶきよ馬廻150石(譜代)。享年27礒貝十郎左衛門正久いそがいじゅうろうざえもんまさひさ物頭側用人150石(新参)。享年25間喜兵衛光延はざまきへえみつのぶ勝手方吟味役100石(二代)。享年69辞世は「草枕むすぶ仮寐の夢さめて常世にかへる春の曙」。 間十次郎光興はざまじゅうじろうみつおき部屋住み間光延長男吉良上野介一番槍をつけ、その首級をあげた。享年26辞世は「終にその待つにぞ露の玉の緒のけふ絶えて行く死出の山道」。 間新六郎光風はざましんろくろうみつかぜ間光延次男養子出されたが養父折り合い悪く江戸出て浪人になっていた。願い出て義盟に加えられた。享年24辞世は「思草茂れ野辺旅枕仮寝の夢は結ばざりしを」。 中村勘助正辰なかむらかんすけまさとき書物役、100石(譜代)。享年46辞世は「梅が香日足を伝ふ大書院」。 千馬三郎兵衛光忠せんば(ちば)さぶろべえみつただ馬廻100石(二代)。享年51菅谷半之丞政利すがやはんのじょうまさとし馬廻郡代100石(譜代)。享年44村松喜兵衛秀直むらまつきへえひでなお扶持奉行江戸定府20石5人扶持二代)。享年62辞世は「命にもかえぬ一をうしなはば逃げかくれてもこゝを逃れん」。 村松三太夫高直むらまつさんだゆうたかなお部屋住み村松秀直長男享年27辞世は「極楽断りなしに通らばや弥陀諸共四十八人」。 倉橋伝助武幸くらはしでんすけたけゆき扶持奉行中小姓20石5人扶持二代)。享年34岡嶋八十右衛門かじまやそえもんつねしげ札座勘定奉行20石5人扶持二代)。原惣右衛門の弟。享年38大高源五忠雄おおたかげんごただお(ただたけ)金奉行膳番元方腰物方20石5人扶持小野寺秀富の兄。吉良家出入り茶人接近して12月14日吉良屋敷茶会があることを聞きつけた。俳諧よくして俳人宝井其角交流があり、これをもととして「松浦の太鼓」の外伝作られた。享年32辞世は「呑む茶屋もあるべし死出の山」。 矢頭右衛門七教兼やとう(やこうべ)えもしちのりかね部屋住み譜代)。父長助ともに義盟に加わった仇討ち決行前に父は病死した。享年18勝田新左衛門武尭かつたしんざえもんたけたか札座横目15石3人扶持譜代)。享年24武林唯七隆重たけばやしただしちたかし馬廻15両3人扶持二代)。吉良義央養子吉良義周と切り結び負傷させ、炭小屋隠れていた吉良義央討ち取った享年32辞世は「三十年来一夢中 捨レ身取レ義夢尚同 双親臥レ病故郷在 取レ義捨レ恩夢共空」(「レ」は漢詩文訓読返り点)。 前原伊助宗房まえばらいすけむねふさ金奉行中小姓10石3人扶持二代)。江戸で呉服屋開き吉良屋敷探索した享年40辞世は「春来んとさしもしらじな年月ふりゆくものは人の白髪」。 貝賀弥左衛門友信かいがやざえもんとものぶ中小姓蔵奉行10両3人扶持新参)。吉田兼亮の弟。享年54杉野十平次次房すぎのじゅうへいじつぎふさ札座横目、8両3人扶持二代)。享年28神崎与五郎則休かんざきよごろうのりやす徒目付、5両3人扶持新参)。享年38辞世は「余の星はよそ目づかひや天の川」。 三村次郎左衛門包常みむらじろうざえもんかねつね台所奉行酒奉行、7石2人扶持二代)。享年37横川勘平宗利よこかわかんべいむねとし徒目付、5両3人扶持新参)。12月14日吉良屋敷茶会があることを調べる。享年37辞世は「まてしばし死出遅速はあらんともまつさきかけ道しるべせむ」。 茅野和助常成かやのわすけつねなり横目付、5両3人扶持新参)。享年37辞世は「天の外はあらじな千種たに本さく野辺枯るると思へは世や命咲野にかかる世や命」。 寺坂吉右衛門信行てらさかきちえもんのぶゆき吉田兼亮足軽、3両2分2人扶持足軽では唯一の参加者討ち入り後に一行から立ち退いている。討ち入り時は38歳事件後に幾つかの家に仕えた後、江戸で没。享年83

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