四十七士か四十六士か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:40 UTC 版)
寺坂信行は士分ではなく足軽身分である。また寺坂は討ち入り後、泉岳寺に行くまでに姿を消している。そのため、彼を赤穂浪士の一人として加えるべきかどうかが、事件当時から論争の火種になってきた。 後に上司の吉田兼亮も「吉右衛門は不届き者である。二度とその名を聞きたくない」と語り、大石良雄は「軽輩者であり、構う必要はない」と書き残している。一方、伊藤家の資料から四十六士が四家にお預かりになった後、寺坂が浅野長広がいる広島へ行っていることが確認できる。堀部言真の書簡からも討ち入り後、寺坂が寺井玄渓(赤穂藩医)のもとへ行っていることが確認されている。
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