作曲家およびエッセイストとして
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1946年(昭和21年) - 近衛秀麿に管弦楽法、指揮法を学ぶ。この年、『二つの抒情詩』(管弦楽付き独唱曲)で日本音楽連盟委嘱コンクールに入選。歌曲集『五つの断章』(北原白秋詩)を作曲。 1947年(昭和22年) - 歌曲『花の街』(江間章子詩)を作曲。 1948年(昭和23年) - NHK専属作曲家となる。 1949年(昭和24年) - 木下順二作品の民話劇『夕鶴』の演劇付帯音楽を作曲。 1950年(昭和25年) - 『交響曲第1番イ調』を作曲。NHK創立25年記念管弦楽曲募集コンクールにて特選入賞。歌曲集『美濃びとに』(北原白秋詩)を作曲。 1952年(昭和27年) - オペラ『夕鶴』大阪で初演。北海道美幌農業高等学校校歌を作曲。 1953年(昭和28年) - 芥川也寸志、黛敏郎と「三人の会」を結成。 1954年(昭和29年) - 東宝映画専属音楽監督。 1955年(昭和30年) - オペラ『聴耳頭巾』大阪で初演。 1958年(昭和33年) - オペラ『楊貴妃』(大佛次郎台本)初演(藤原歌劇団創立25周年記念東京公演)。また慶應義塾創立百周年記念式典のために混声合唱と管弦楽のための「慶應義塾式典曲」(作詞:堀口大學)を作曲、NHK交響楽団を指揮初演(1968年再演)。 1959年(昭和34年) - 皇太子明仁親王と正田美智子の成婚を記念して『祝典行進曲』を作曲。 1964年(昭和39年) - 東京オリンピック開会式にて『オリンピック序曲』、『祝典行進曲』、閉会式にて『祝典行進曲』を演奏。エッセイ『パイプのけむり』の連載を雑誌「アサヒグラフ」にて始める。 1965年(昭和40年) - 『交響曲第5番』を作曲。 1966年(昭和41年) - 日本芸術院賞を受賞。 1968年(昭和43年) - 『パイプのけむり』、『続パイプのけむり』で第19回読売文学賞(随筆・紀行)を受賞。『混声合唱組曲「筑後川」』を作曲。10月23日の告示により、鳥取県民歌制定委員会作詞、團伊玖磨作曲の鳥取県民歌「わきあがる力」が制定される。 1972年(昭和47年) - オペラ『ひかりごけ』(武田泰淳原作)初演(第15回大阪国際フェスティバル)。 1973年(昭和48年) - 日本芸術院会員に就任する。 1975年(昭和50年) - オペラ『ちゃんちき』(水木洋子台本)東京で初演。 1976年(昭和51年) - ソプラノ・ソロと管弦楽のための『長良川』(江間章子詩)を作曲。 1978年(昭和53年) - 合唱組曲『大阿蘇』(丸山豊詩)を作曲。 1982年(昭和57年) - 横須賀市制75周年記念事業の一環として、合唱と管弦楽のための組曲『横須賀』(栗原一登詩)を委嘱され作曲。 1983年(昭和58年) - ピアノ組曲『3つのノヴェレッテ』、合唱組曲『唐津』、独唱・混声合唱・オーボエ・ピアノのための組曲『木曽路』、子供の歌アルバム『道の子の歌』、ヴァイオリンとピアノのための『幻想曲第2番』等を作曲。 1985年(昭和60年) - 『交響曲第6番「HIROSHIMA」』を広島平和コンサートで初演。 1994年(平成6年) - オペラ『素戔嗚』初演(神奈川芸術フェスティバル)。 1997年(平成9年)9月3日 - 急性心筋梗塞を起こし、約1か月間入院する。オペラ『建・TAKERU』初演(東京・新国立劇場杮落し公演)。 1999年(平成11年) - 文化功労者に列せられる。 2000年(平成12年)4月6日 - 妻の和子が急性心筋梗塞で急死。「DAN YEAR 2000」開催。 2001年(平成13年)5月17日 - 日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国旅行中に心不全を起こし、江蘇省蘇州市の病院で死去した。77歳没。戒名は「鳳響院殿常楽伊玖磨大居士」。
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