作曲及び初演の経緯とは? わかりやすく解説

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作曲及び初演の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 10:00 UTC 版)

ローエングリン」の記事における「作曲及び初演の経緯」の解説

ワーグナー自伝『わが生涯によれば1839年から1842年にかけてワーグナーパリ滞在し、クリスティアン・ルーカス(Ch. Th. L. Lucas)の編集した1838年出版の『ヴァルトブルク歌合戦』(Wartburgkrieg)に触れて歌劇タンホイザー』の着想を得る。このとき、論文続きローエングリンまつわる叙事詩についての説明があり、これを読んだことが発端とされる1843年、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴォルフが編纂したオランダ伝説集』が出版される。このなかにコンラート・フォン・ヴュルツブルクによる『白鳥の騎士』が含まれており、ワーグナーはこれを読んだ考えられている。また、ルートヴィヒ・ベヒシュタインのメルヘン集に「白鳥にされた子供たち物語」があり、このモチーフワーグナー利用することになる。 1845年6月マリーエンバート温泉治療のために滞在中、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ叙事詩パルチヴァール』やアルブレヒトの『新ティトゥレル』の翻訳・再話作者不明叙事詩ローエングリン』に付せられたヨーゼフ・ゲレスの長大序文100頁近い「論文」)などを読んで歌劇構想固める。同時に、これらの知識は後の楽劇ニュルンベルクのマイスタージンガー』や『パルジファル』の基盤ともなったまた、ヤーコプ・グリム慣習法令集』や同『ドイツ伝説集』から、オルトルート像を創造したとされる1845年8月台本散文スケッチ完成。このときのスケッチには、第3幕ゴットフリートの姿に戻る白鳥の歌書かれていたが、後にこれは取り消される1845年11月前作タンホイザー』のドレスデン初演。この直後に『ローエングリン台本完成する同月ワーグナー友人たち集めてローエングリン』の台本朗読会を開く。このとき同席した友人には、建築家ゴットフリート・ゼンパーピアニストフェルディナント・ヒラー作曲家ロベルト・シューマンらがいた。朗読友人たちに感銘与えシューマンは、この台本従来番号付きオペラでは収まらないことを理解したという。 1846年、春から作曲にかかる。3ヶ月スケッチ完成し9月からオーケストレーションとりかかる。しかし、ドレスデン歌劇場仕事のために中断余儀なくされる1847年8月に全3幕のオーケストラ・スケッチが完成1848年1月から4月にかけて総譜浄書1849年ゼンパー無政府主義者ミハイル・バクーニンとともにドレスデン5月蜂起に参加。しかし革命運動失敗し指名手配されワーグナーリスト助け得てスイスチューリヒ亡命する1850年リスト尽力によって、『ローエングリン』がヴァイマル初演運びとなる。ワーグナーはなんとか初演見たい潜入画策するが、リスト制止されて断念この前後、『ローエングリン』の初演巡ってワーグナーとリスト頻繁に手紙交わしている。結局ワーグナー全篇上演を見ることがかなったのは1861年のことで、ヨハン・シュトラウス2世ワーグナー紹介努めたウィーンでの宮廷歌劇場による舞台であった。

※この「作曲及び初演の経緯」の解説は、「ローエングリン」の解説の一部です。
「作曲及び初演の経緯」を含む「ローエングリン」の記事については、「ローエングリン」の概要を参照ください。

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