作曲及び初演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 02:51 UTC 版)
当楽曲は1896年に作曲されたもので、ステーンハンマルが作曲家として遺してきた作品の中では初期の作品に属するものとされている。 1892年にピアニストとしてデビューした直後に改めてピアノを学ぶためベルリンに渡航したステーンハンマルは、そこで創作活動を開始。ドイツ・ロマン派の影響を受ける中で、民謡からの引用を避けつつも北欧特有の色彩を持たせるという彼独自の作風を確立させていった。 作曲家としての出世作となった『ピアノ協奏曲第1番作品1』を自身のピアノにて初演してから約2年経過した1896年に書き上げられた当楽曲は、メンデルスゾーンやワーグナー、ブラームス等を彷彿とさせるようなつくりとなっており、ドイツ音楽の影響を色濃く受けているということができる。 初演は、作品完成当年である1896年の12月28日にコペンハーゲンに於いて、アルトゥル・ニキシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって行われ、当楽曲は同楽団に献呈されている。そして、この翌年・1897年には当楽曲を含むプログラムが組まれた演奏会で、ステーンハンマル自身の指揮者としてのデビューを果たすこととなった。
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