代表・院長・光優会グループの沿革
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・院長であり光優会グループ代表、松山光晴氏の経歴 昭和35年 大阪府柏原市出身(羽曳野市説あり)。昭和61年 奈良県立医科大学卒業。同大学精神医学教室にて研修後、島根県安来第一病院において主に老人医療に従事。 その後、奈良県下市病院、静岡県河津浜病院、三重県上野病院の精神科、内科に勤務。 この間、平成元年には奈良県救命救急センターにおいて従事。 1994年 (平成6年)クリニックやすらぎを開院。 1998年(平成10年)医療法人光優会を設立。 1999年(平成11年)精神科リハビリテーション(デイ・ケア)を、無償で開始。 2001年(平成13年)精神科リハビリテーション(デイ・ケア)を、有料化。 2006年(平成18年)デイ・ケアをデイ・ナイト・ケアに変更。 2008年(平成20年)社会福祉事業所を開設。 2010年(平成22年)障害福祉サービス事業所を奈良県内に4ヶ所(14施設)開設。 2013年(平成25年)の3月から6月にかけて、一部の事業所の指定が取り消される。またこの期間に指定自立支援医療機関(精神通院医療)停止の処分も行われている。 2013年(平成25年)6月25日 葛城労働基準監督署に最低賃金法違反容疑で奈良地検に書類送検される。 2013年(平成25年)8月31日をもって「クリニックやすらぎ八木診療所」の廃院手続きを行い、「クリニックやすらぎ」は閉鎖された。 2013年(平成25年)9月30日付で松山光晴氏は光優会理事長を辞任している。 2013年(平成25年)10月19日 松山光晴宅である別名第1事務所等が警察により家宅捜索を受ける。 2014年(平成26年) 5月15日 松山元代表はホームページ内で日本医師会、及び地区医師会脱会を発表。 2014年(平成26年)10月24日 松山光晴容疑者は詐欺容疑で奈良県警に逮捕。 主なテーマは神経生理学で、特に脳波を応用した事象関連電位の臨床適応に着手し研究を重ねた結果、 認知症状とその治療効果の判定、各種精神疾患の鑑別に役立つことを立証し、現在もそれに取り組んでいる。 現在松山氏が奈良県立医科大学に所属していたときに書かれた論文が3件だけ見ることができる。ただし光優会内での度重なる研修会や診察では、松山氏は自ら主張する治療方法について正式な他の専門家によるピアレビューを得た論文や治療方法などを公表することはない。 現在医師としての活動は行ってはいないが、刑事(労働基準監督署からの告発)から行政、民事まで多数の裁判をかかえており多忙を極めていたところ、上述のとおり逮捕されたため、原告としての裁判活動も実質上不可能となった。 == 沿革 == 2000年(平成12年)に一般社団法人光優会が事務所用不動産を奈良市南登美ヶ丘に取得。 2001年(平成13年)に大阪市生野区で第3光優ビル(通称つるはし)を取得。 2004年(平成16年)クリニックやすらぎ八木診療所が医療法上必要な届け出を県に行わずに一カ月近く、休業する。 2007年(平成19年)にリナックスをOSとしたシステム開発・販売に着手。ならびに奈良市大宮町で第4光優ビルを取得。 2008年(平成20年)に「光優会グループ」の不動産部門とコンピューター部門を法人化する。株式会社松山商会と株式会社リナーブルを設立し、大和高田市高砂町に第5光優ビルを取得。更に光優会グループの障害福祉サービス事業所を無償にて開設し、光優ビル、第4光優ビル、第5光優ビル、八木駅周辺にて生活訓練と就労訓練を開始する。 2009年(平成21年)に第4光優ビルで、光優会グループの障害福祉サービス事業所としての就労支援事業所「レストラン『I WISH』」を営業開始。奈良市において食事提供を開始した。農業部門が発足し、天理市福住に3,000坪の農地を取得する。奈良県内5ヵ所(奈良市ニ名町、橿原市高殿、天理市名柄町、天理市福住町、五条市)で農耕療法を開始。 2010年(平成22年)に一般社団法人光優会を設立する。奈良県より、障害福祉サービス事業所の認可を受ける(2013年に一部が認可取消)。多機能型障害福祉サービス事業所を2箇所(『大和高田やすらぎ』と『新大宮北やすらぎ』)開設する。 2012年(平成24年)11月27日と12月20日に奈良県と橿原市による監査を受け、一時「クリニックやすらぎ八木診療所」において医療行為を停止する。 2013年(平成25年)の3月から6月にかけて、一部の事業所の指定が取り消される。またこの期間に指定自立支援医療機関(精神通院医療)停止の処分も行われている。 2013年(平成25年)8月31日をもって光優会は「クリニックやすらぎ八木診療所」の廃院手続きを行い、「クリニックやすらぎ」は閉鎖された。 2013年(平成25年)9月30日付で松山光晴氏は光優会理事長を辞任している。 2013年(平成25年)9月5日 個別指導において求められた書類等が提出できなかったこと等でクリニックやすらぎ八木診療所が9月5日以降から近畿厚生局による数回にわたる監査を受ける。すでにクリニックやすらぎ八木診療所が廃院していることもあり近畿厚生局からの処分は保留となっている。 2013年(平成25年) 光優会は元従業員である看護師に対して2018万8000円の損害賠償請求をする。 2013年(平成25年) 光優会は奈良県に対して事業所取り消しに対して不服の裁判も起こしている。 2013年(平成25年) 10月17日 光優会が元従業員である看護師に対して起こした裁判は、奈良地方裁判所にて光優会の敗訴が判決される。看護師らによる未払賃金等請求と反訴損害賠償請求 医療法人光優会事件 (奈良地裁平25.10.17 判決) 2014年(平成26年) 7月16日 元従業員が光優会に対して起こした裁判は、葛城簡易裁判所にて光優会の敗訴が判決される。給料支払請求事件 (葛城簡裁平26.7.16 判決) 2014年(平成26年) 9月16日 第4光優ビルが奈良県信用保証協会等に差押される。奈良地方裁判所担保不動産競売開始決定。 2014年(平成26年)12月2日 光優会が奈良県に対して起こした裁判は、奈良地方裁判所にて光優会の敗訴が判決される。障害者自立支援法に基づく指定障害福祉サービス事業者の指定取消処分取消請求事件並びに指定自立支援法に基づく指定自立支援医療機関(精神通院医療)の指定取消処分取消請求事件(奈良地裁平26.12.2 判決)
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