人に関わる歴史
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古来より「ガゼ(甲贏)」と呼ばれ、「ウニ(棘甲贏)」(ムラサキウニ)とともに古来より食用とされてきた。特に本種は、若狭国の貢納品として延喜式にも記録が残る。さらに古く、各地の貝塚からも本種の死殻が発見されている。
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人に関わる歴史
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747年(天平19年) - 国司(越中の守)の大伴家持は、長歌一首を詠み、および、翌日に、中掾大伴池主は、返歌一首を詠む。ほか、家持は短歌二首を詠む。家持は、「立山賦」(巻一七)より「あまざかる 鄙(ひな)に名懸かす 越の国 国内ことごと 山はしも 繁にあれども 川はしも 多に行けども 皇神の うしはき坐す 新川の その「多知夜麻(たちやま)」に 常夏に 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに 外のみも 振り放け見つつ 万代の 語らひ草と いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね」、および、「多知夜麻に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし」、「多知夜麻の 雪し消(け)らしも 延槻(はひつき)の 川の渡り瀬 鐙漬(あぶみつ)かすも」と詠っている。また、池主は、「敬和立山賦」より。 905年(延喜5年) - 国司(越中の守)に佐伯有若が赴任。これに関わり、平安後期以降に、有若、および、その子の有頼(慈興上人)による701年(大宝元年)開山とされている。(白鷹伝説) 1695年(元禄8年) - 加賀藩主が室堂平に立山寺(立山権現)参拝者のための参籠所(現在の室堂山荘の前身)を設置した。江戸時代には、立山信仰が盛んになり、多くの信者が立山に登拝した。 1858年(安政5年)4月9日(新暦) - 安政飛越地震が起きて、鳶山の一部だった大鳶山と小鳶山が消滅し、立山カルデラに大量の土砂が流れ込み、現在も砂防工事が続けられている。 1872年(明治5年) - 太政官通達により神社仏閣地の女人禁制が解かれた。それ以前の女性の登拝は、芦峅寺の姥堂までとされていた。 1880年(明治13年) - 立山新道開通。大町市野口 - 針ノ木峠 - ザラ峠 - 富山市原村を結ぶ有料道路。 1894年(明治27年) - 陸地測量部の館潔彦らが立山を測量。 1927年(昭和2年)5月12日 - 頂上直下、三ノ越の巨岩に昭和天皇の御製「立山の空にそびゆる雄々しさにならえとぞ思ふ御代の姿も」を刻んだ歌碑が完成。 1934年(昭和9年)12月4日 - 中部山岳国立公園に指定され、山域はその特別保護地区となっている。 1947年(昭和22年) - 佐伯房治が地獄谷温泉に房治小屋を建設。 1953年(昭和28年)6月15日 - 立山頂上郵便局を室堂に開設する。取扱開始日は同年7月5日。 1954年(昭和29年) - 富山地方鉄道立山駅から美女平駅までの区間の立山ケーブルカーが開業。 1963年(昭和38年) - 関西電力の黒部川第四発電所が完成。 1970年(昭和45年)7月10日 - 立山頂上郵便局を立山山頂郵便局へ改称する。 1971年(昭和46年)6月1日 - 立山黒部アルペンルートが全通開通。 1981年(昭和56年)7月18日 - 立山山頂簡易郵便局が室堂に開設される。取扱開始日は同年7月20日。 1981年(昭和56年)7月20日 - 立山山頂郵便局が廃止され、引継局を小見郵便局とする。なお、2022年現在、立山山頂は日本郵便から交通困難地の指定を受けているため、地外から当地宛に郵便物を送付することは出来ない。 1986年(昭和61年) - それまで山小屋として使用されていた室堂小屋(立山室堂山荘)が富山県指定有形文化財に指定され、翌年西側に新たな山小屋の建物が造られた。 1995年(平成7年)6月27日 - 解体修理の行われた室堂小屋が国の重要文化財に指定された。山小屋として使用されていた建物としては日本最古のものである。 2000年(平成12年)4月28日 - 郵政省が、『立山連峰とチューリップ畑・富山県』の50円切手を発売した。 2008年(平成20年)8月 - 県、地元市町が「立山・黒部〜防災大国日本のモデル―信仰・砂防・発電―〜」として、立山を世界遺産の文化庁暫定リスト公募に提案していたが、「国際評価が定まっていない」としてリスト入りが見送られた。 2012年(平成24年) 6月- 日本雪氷学会により、御前沢雪渓に存在する氷体が日本では数少ない現存する氷河であることが確認され、「御前沢氷河」と命名された。 2012年(平成24年)7月3日 - 弥陀ヶ原と大日平がラムサール条約湿地に登録された。 2014年(平成26年)8月28日 - 立山黒部ジオパークが日本ジオパークに登録された。 2018年(平成30年)1月 - 内蔵助雪渓に存在する氷体が氷河であることが確認された。
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