交友および関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 23:45 UTC 版)
杉本良仲 - 鍼医。鍼灸説約の序文に「極鍼経」と絶賛する文を寄せている。掲載時の署名は「侍醫法眼杉本良仲誌」と捺印されており、当時を代表する人物だったと推測される。東都書舗版、蜜月堂版共に記載がある。 它山 唐公愷 - 知要一言の序文寄稿者。序文には宗哲を竽斎先生と記載し鍼に解剖の知識を活かした事や西乙福児篤(シーボルトの当て字)への言及があり諸国に鍼治療があるのを知らしめるとある。儒学者の堤它山の名が公愷であり、また、号として它山を使用していた事から、堤它山の事と思われる。佐藤一斎の弟子で、佐久間象山から見て堤它山は兄弟子にあたり、また学問所では頼山陽などが同僚である。漢方医川村寿庵、錦城(日本名山図絵を谷文晁と共に作成する)と親交があったと見られる。知要一言の序文に錦城翁の名前がありこれは川村寿庵錦城と思われる。1849年没。 川村寿庵 - 錦城、江戸の有名な漢方医、安藤昌益の弟子、川村快庵の婿養子となる。奇行で有名、治療は午前のみ、午後は笛を吹いて過ごした、楽器の収集を趣味とした、また山登りが好きで全国を巡り歩いた。彼はそれを口実として安藤昌益の思想を密かに伝道したものと思われる。彼は安藤昌益の『自然真営道』を密かに所有していた。また彼は江戸じゅうの漢方薬店に行き床を掃除するからといって、床に落ちていた漢方薬を集めてもらって帰り混ぜて「万病回春散」と銘打って売り大もうけした。『錦城先生経験方』『日本名山図譜』子は川村真斎(漢方医) 川村真斎 - 妻は土岐村元立の妻、琴の妹、滝沢宗伯の妻の叔母、『真斎先生傷寒論』『真斎漫筆』『進退小録』『老子解』『真斎聚方』『真斎方記』『良中子神医天真』『神医天真論』 滝沢馬琴 - 戯曲家、南総里見八犬伝その他、江戸の知識人の集まりの兎園会を主催。1825年(文政8年)正月から始まり毎月一回集まって見聞した珍談、奇談を披露しあった。参加者は、滝沢馬琴、山崎美成、屋代弘賢、荻生維則、西原好和、滝沢琴嶺、関思亮、大郷良則、桑山修理、亀屋久右衛門、清水正徳、中井豊民が正会員、各員として石坂宗哲参加する。 山崎美成 - 随筆家、雑学者、国学者、『兎園小説』の著者、堤た山の『駱駝孝』の序文を書く 滝沢宗伯 - 馬琴の子、妻は紀州藩三浦家の医師土岐村元立の三女、路 谷文晁 - 画家、日本名山図絵 平田篤胤 - 思想家、言霊学者、医師、蘭学を吉田長淑に学び解剖に立ち会う、国学者、『仙境異聞』『医道大意』など著書多数、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長と共に国学四大人の一人 屋代弘賢 - 幕府御家人(右筆)国学者、腰痛を宗哲に治癒してもらいその礼に雲棲子著の『鍼灸広狭神倶集』を寄贈する。塙保己一に国学を学んで『群書類従』の編纂に加わる。著書に『寛政重修諸家譜』『古今要覧稿』、柴野栗山、太田南北、谷文晁、らとも親交があった。 各務文献 - 整骨家、整骨新書の著者、木骨を製作し江戸医学館に大月玄沢を通じて献納する。宗哲は二分の一大の木骨を購入する。この木骨は宗哲の私塾で解剖学の教材とする。 大槻玄沢 - 蘭方医『重訂解体新書』『蘭学階梯』の著者、宗哲に蘭学を教授する。蘭学塾、芝蘭堂を開く。 土生玄碩 - 西洋眼科の始祖で宗哲と共にシーボルトにあっている。後にシーボルト事件に連座し投獄。その息子の玄昌は同じ山伏井戸に住居があり近隣である。 溝部益有山 - 鍼灸説約蜜月堂版(オリエント出版2004年再収録)にあとがきを載せた人物で豊後(大分)の人と記載がある以外詳細不明である。記述年日は「文化壬申夏」で、田中信行に先行して記述してある。東都書舗版の鍼灸説約には記載がない。 中山作三郎 - 幕府大通詞(通訳の責任者)。文政7年にシーボルトと会える旨の書簡を宗哲とやりとりしている。 美馬順三 - シーボルトに贈呈された宗哲の書(鍼灸知要一言)を、シーボルトからの依頼を受けてオランダ語に翻訳した。 石井宗謙 - 美馬順三が文政8年に早世した後を受けて、宗哲の書をオランダ語に翻訳したと推定されている。 男谷家 - 石坂志米一が男谷(米山)銀一(1703-1771、越後の長鳥村の生まれ)の師匠であり、恩人なので石坂家とは親戚のように付き合う。銀一の子供が男谷平蔵、孫が彦四郎、忠蔵、勝小吉、曾孫が勝海舟。 山岡鉄舟 宗哲が住んでいた山伏井戸には、かつて国学の四大人の一人と目された賀茂真淵が住を構えていたため、文化人も多く集まっていた。そのためか宗哲も文化人との交流が多く、日本医家列伝には風流の人と記載がある。また、蘭方医との知己も多く、シーボルト事件で連座した医者らの多くは知己であったと見られる。
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