江戸医学館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:01 UTC 版)
江戸幕府が神田佐久間町に設けた漢方医学校。明和2年(1765年)、幕府奥医師の多紀元孝(安元)が開設した私塾・躋寿館(せいじゅかん)が起源である。ところが多紀氏の私財だけでは4年しか維持できず、中断されていた。松平定信が筆頭老中となったときに、医官の多数が遊惰で無能なものが多いという理由から躋寿館を改めて官学にする方針が定められた。寛政4年(1791年)正月23日から幕府直轄の医官養成校となり、医学館と改称した。文化3年(1806年)、大火で焼け落ち浅草向柳原に移転再建された。
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