多紀元孝とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 多紀元孝の意味・解説 

多紀元孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/08 08:04 UTC 版)

多紀 元孝(たき もとたか、元禄8年(1695年) - 明和3年6月20日1766年7月26日))は、江戸時代中期の奥医師。本姓は福島、通称は安元、号は玉池。

平安時代の医家・丹波康頼の子孫の家系。金保元燕の養子になり、享保12年(1727年)に元燕が致仕したため家督を継ぐ。享保20年(1735年)に番医となり、元文元年(1736年)には月光院の療用を命ぜられて寄合となる。延享4年(1747年)に西丸奥医師に任ぜられ、俸禄100俵に100俵を加増されて200俵となり、法眼に叙せられた。寛延2年(1749年)に養父が没すると家号を多紀に改めた。宝暦2年(1752年)には奥医師(一時二丸奥医師となるが本丸奥医師)となり、宝暦4年(1754年)公遵法親王が病により、日光に赴く。明和2年(1765年)5月に漢方医の教育のために神田佐久間町に私塾・躋寿館(せいじゅかん、後の医学館)を創設した。

家族

  • 長男:元張(後に道訓、病にて跡継ぎとならず)
  • 次男:元行(福島氏を称し、病により跡継ぎを辞す)
  • 三男:元徳
  • 娘:鍼医・山崎次茂の妻

関連項目

参考文献

  • 『日本人名大辞典』(講談社)
  • 森潤三郎『多紀氏の事蹟』(思文閣出版、1985年)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「多紀元孝」の関連用語

多紀元孝のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



多紀元孝のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの多紀元孝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS