江戸名所図会の記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 20:21 UTC 版)
宮益坂(富士見坂)について、江戸時代、天保年間に著された書物 『江戸名所図会』には次のように記されている。 「富士見坂。渋谷宮益町より西へ向ひて下る坂をいう。斜めに芙蓉の峰にむかふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麓の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此の富士見坂は其のはじめなりといへり」
※この「江戸名所図会の記載」の解説は、「宮益坂」の解説の一部です。
「江戸名所図会の記載」を含む「宮益坂」の記事については、「宮益坂」の概要を参照ください。
- 江戸名所図会の記載のページへのリンク