ローマ時代後期 - ローマでもっとも有名な画家とは? わかりやすく解説

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ローマ時代後期 - ローマでもっとも有名な画家(1600年 - 1606年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:27 UTC 版)

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「ローマ時代後期 - ローマでもっとも有名な画家(1600年 - 1606年)」の解説

1599年におそらく枢機卿デル・モンテ推薦で、カラヴァッジョサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂室内装飾依頼受けた契約では2点絵画制作するとなっており、このときに描かれたのが『聖マタイの殉教 (Martyrdom of Saint Matthew)』と『聖マタイの召命』である。1600年完成したこれらの絵画は、たちまちのうちに大評判となったカラヴァッジョはこの絵画キアロスクーロよりもさらに強い明暗法テネブリズム使用し、このことが画面に高い劇的な効果与えカラヴァッジョ作品が持つ鋭い写実性激し感情表現加えることになった当時画家たちの間ではカラヴァッジョ対す評価両極端分かれている。絵画技法上、様々な間違い犯していると公然と非難するものもいたが、カラヴァッジョ新し絵画技法先駆者であると支持するものが多かった。「当時ローマ居た画家たちは、カラヴァッジョ作品が持つ革新性驚愕した。とくに若い画家たちカラヴァッジョ共感し実物ありのままに描くことが出来比類ない画家であると賞賛して、その作品はほとんど奇跡だとまで考えていた」 カラヴァッジョには有力者たちから大量絵画制作依頼舞い込むようになった。とくに暴力的な表現を伴う宗教画依頼多くグロテスクな断首、拷問、死などが主題となっていた。カラヴァッジョ描いたこのような宗教画なかでも、もっとも優れた作品といわれているのがイタリア貴族マッテイ家 (en:House of Mattei) からの依頼描かれた『キリストの捕縛 (The Taking of Christ)』(アイルランド国立美術館1602年ごろ)である。200年以上にわたって失われた絵画だとされていたが、1990年になってダブリンイエズス会教会再発見された作品である。次々と描きあげる絵画によってカラヴァッジョ名声は高まる一方だったが、ときには依頼主受け取り拒否されることもあり、描き直すかあるい別の購入者探すことになった作品もあった。カラヴァッジョの描く強い明暗法表現され劇的な作品高く評価されていたが、逆に通俗的下品な絵画であるとして忌避されることもあった。サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会依頼でコンタレッリ礼拝堂のために描かれた、みすぼらしい小作人のように表現され聖マタイが、光り輝く衣装に身を包んだ天使教え受けているという構図の『聖マタイと天使 (Saint Matthew and the Angel)』(第二次世界大戦消失1602年)は依頼人好み合わず代替として『聖マタイの霊感 (The Inspiration of Saint Matthew)』(サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂所蔵1602年)が描かれた。有名な聖パウロの回心 (The Conversion of Saint Paul)』(オデスカルキ・バルビ・コレクション所蔵1600年ごろ)も当時依頼人から拒否され、同じ主題の『ダマスカスへの途中で回心 (Conversion on the Way to Damascus)』(サンタ・マリア・デル・ポポロ教会所蔵1601年)として描き直されている。『ダマスカスへの途中で回心』は聖パウロ乗馬していた馬のほうがパウロよりも大きく描かれており、このことがカラヴァッジョ絵画依頼したサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の間で論争にもなった。 『キリストの埋葬 (Entombment)』(バチカン美術館所蔵1602年 - 1603年)、『ロレートの聖母』(サンタゴスティーノ教会所蔵1604年 - 1606年)、『聖アンナと聖母子 (Grooms' Madonna)』(ボルゲーゼ美術館所蔵1605年 - 1606年)、『聖母の死 (Death of the Virgin)』(ルーブル美術館所蔵1604年 - 1605年)なども有名なカラヴァッジョ宗教画である。とくに『聖母子と聖アンナ』と『聖母の死』の来歴は、カラヴァッジョ存命時の作品一部人々からどのような評価受けていたのかの好例となっている。 『聖アンナと聖母子』は別名『蛇の聖母』とも呼ばれており、もともとはローマ教皇庁馬丁組合大信心会依頼しサン・ピエトロ大聖堂小さな祭壇に飾るために描かれた作品だった。だが飾られていたのはわずか二日間だけで、すぐさま祭壇から除去されてしまった。当時枢機卿書記官が「下品で、神を冒涜する不信心極まりない絵画で、嫌悪感満ちている…この絵画優れた技術を持つ画家作品かも知れないが、その画家の心は邪悪善行礼拝などといった信仰心からはかけ離れているに違いないと書き残している。『聖母の死』は1601年にサンタ・マリア・デッラ・スカラのカルメル会修道院礼拝堂個人所有していた裕福な法律家依頼を受け、その礼拝堂祭壇画として描かれた作品だったが、1606年修道院から所蔵拒絶されている。同時代著述家ジュリオ・マンチーニが、修道院からこの作品拒絶されたのは、当時非常によく知られていた娼婦聖母マリアモデルしたためであると記録している。同じく同時代人画家ジョヴァンニ・バリオーネ (en:Giovanni Baglione) は、どちらの絵画聖母マリアむきだしの足が問題視されたのだとしている。カラヴァッジョ研究者ジョン・ガッシュは、カルメル会修道院が『聖母の死』を拒絶したのは、芸術的評価ではなくカルメル会教義影響しているのではないか推測した神の母決し死することなく天国へと召されただけであるという聖母の被昇天教義否定している絵画と見なされたとしている。『聖母の死』の代替描かれたのは、カラヴァッジョ追随者でもあったカルロ・サラチェーニ (Carlo Saraceni) が描いた祭壇画で、カラヴァッジョの『聖母の死』とは違って聖母マリア未だ死んではおらず座して死に行くさまを描いたのだったしかしながらこの祭壇画修道院から受け取り拒否されさらなる代替作品として、天使たち聖歌を歌う中でマリア天界へと昇天していく絵画描かれている。とはいえこのような絵画の受入拒否カラヴァッジョその作品嫌われていたことを意味するとは限らない。『聖母の死』は修道院から拒まれ直後マントヴァ公ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガ購入しており、しかもこのときにマントヴァ公にこの作品購入勧めたのはルーベンスだった。その後1671年イングランド国王チャールズ1世購入し清教徒革命によるイングランド内戦でチャールズ1世処刑されると、フランスへ売却されフランス王コレクション納められた。 キリスト教には関係がないこの時期作品一つに、1602年デル・モンテ取り巻き一人銀行家美術収集家イタリア人ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ (en: Vincenzo Giustiniani) の依頼描かれた『愛の勝利』(ベルリン絵画館所蔵1601年 - 1602年)がある。描かれているキューピッドモデルとなったのは、17世紀初頭記録フランチェスコ愛称である「チェッコ (Cecco)」と記されている人物である。この人物は後にチェッコ・デル・カラヴァッジョ (en: Cecco del Caravaggio)と呼ばれ1610年から1625年ごろに画家として活動したフランチェスコ・ボネリではないか考えられている。裸身で矢を手にし、好戦、平和、科学などを意味する事物踏みにじっている様子描かれ、その歯をむき出しにしてほくそ笑むいたずら小僧のような表現は、ローマ神話の神であるキューピッド想起することは難しい。カラヴァッジョには他にも半裸青年として多くキューピッド描いた絵画があるが、いずれも芝居小道具のような翼で描かれており、こちらも神話キューピッド描かれているようには見えないしかしながらカラヴァッジョ意図していたものは、極めて強く写実的に絵画を描くことによって、神たるキューピッド俗世チェッコ、あるいは聖母マリアローマ娼婦という二面性同時に作品持たせることだった。

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