ローマ時代前期とは? わかりやすく解説

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ローマ時代前期(1592年 - 1600年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:27 UTC 版)

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「ローマ時代前期(1592年 - 1600年)」の解説

1592年半ばカラヴァッジョは「おそらく喧嘩」で役人負傷させ、ミラノ飛び出し着の身着のままで…行く宛て食料もなく…ほとんど無一文の状態で」ローマへ逃げ込んだ 。その数ヵ月カラヴァッジョは、ローマ教皇クレメンス8世お気に入り画家だったジュゼッペ・チェーザリ (Giuseppe Cesari) の工房助手務め、「花と果物絵画」で画家としての技量知られるうになるこのころカラヴァッジョ作品として知られているのは『果物の皮を剥く少年 (Boy Peeling Fruit)』(ロンギ財団所蔵1592年ごろ)、『果物籠を持つ少年 (Boy with a Basket of Fruit)』(ボルゲーゼ美術館所蔵1593年 - 1594年)、『病めるバッカス (Young Sick Bacchus)』(ボルゲーゼ美術館所蔵1593年ごろ)などがある。『病めるバッカス』は自画像ではないかと言われており、ひどい病気罹患してチェーザリの工房から解雇された後の回復しつつある自分自身描いたとされている。これら3点絵画精密な写実的表現描かれており、カラヴァッジョ画家としての名声高めることになった。『果物籠を持つ少年』に描かれ果物園芸専門家によればそれぞれの種類言い当てることが可能で、例えば籠の右下垂れ下がっているのは「菌類による病変侵され斑に枯れた大きなイチジクの葉」である。 カラヴァッジョ1594年ジュゼッペ・チェーザリ工房から解雇され独立した画家として生計立てることを決意したこのころカラヴァッジョ生涯でもっとも底辺にあった時期だが、画家プロスペロ・オルシ、建築家オノーリオ・ロンギ、当時まだ16歳だったシチリア出身芸術家マリオ・ ミンニーティら、カラヴァッジョにとって非常に重要な存在となる人々友人になっているオルシはすでに成功していた画家で、多く影響力がある収集家カラヴァッジョ引き合わせた一方ロンギカラヴァッジョに悪い影響を与えた人物で、喧騒満ちたローマの裏世界カラヴァッジョ教えた。ミンニーティはカラヴァッジョモデルをつとめ、数年後シチリアでの重要な絵画制作大きな役割を果たすことになった。 『女占い師 (The Fortune Teller)』(カピトリーノ美術館所蔵1594年ごろとルーブル美術館所蔵1595年ごろの2点ヴァージョン現存)はカラヴァッジョ作品の中で最初に二人上の人物が描かれ絵画で、モデルになっているのはミンニーティである。ミンニーティ扮する少年ジプシー娘に欺かれている様子描かれており、このような題材絵画それまでローマで見られず、この作品嚆矢としてその後世紀わたって描かれるようになった題材である。しかしながら、この題材描かれ絵画人気出たのは後年になってからのことで、カラヴァッジョ自身はただ同然価格でしかこの作品売却できなかった。 『トランプ詐欺師 (The Cardsharps)』(キンベル美術館所蔵1594年ごろ)は、トランプ詐欺引っかかる純朴な少年描いた作品で、題材としては『女占い師』と同様ののであるしかしながら心理的描写はより優れており、カラヴァッジョ作品最初傑作とされている。『女占い師』と同じく後世になって人気出た題材で、50点以上の模写現存している。さらにこの作品通じてカラヴァッジョ当時ローマでもっとも優れた美術鑑定家一人といわれていた枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテ認められ後援を受けることに成功した。そして、デル・モンテ取巻き裕福な美術愛好家たちに依頼され多数室内装飾絵画描いた。『奏楽者たち (The Musicians)』(メトロポリタン美術館所蔵1595年 - 1596年)、『リュートを弾く若者 (The Lute Player)』(ウィルデンスタイン・コレクション所蔵1596年ごろ、バドミントン・ハウス所蔵1596年ごろ、エルミタージュ美術館所蔵1600年ごろ3点ヴァージョン現存)、『バッカス (Bacchus)』(ウフィツィ美術館所蔵1595年ごろ)や、寓意満ちているが写実的なトカゲに噛まれた少年 (Boy Bitten by a Lizard)』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵1593年 - 1594年ロベルト・ロンギ財団所蔵1594年 - 1596年2点ヴァージョン現存)などである。これらの作品モデルとなって描かれているのはミンニーティのほか、数人青少年である。 カラヴァッジョ最初に描いた宗教画写実的で、高い精神性をもったものだった宗教題材とした最初期作品として『懺悔するマグダラのマリア (Penitent Magdalene)』(ドリア・パンフィリ美術館所蔵1594年 - 1595年ごろ)があり、描かれているマグダラのマリアそれまで娼婦としての生活を悔やんで座り込み、あたりには虚飾を示す宝飾品散乱している。「宗教的な絵画にはとても見えないかもしれない濡れた髪の少女が低い椅子座り込み良心の呵責苛まれ救済求めているのだろうか」 この作品ロンバルド風の絵画で、当時ローマ風の気取った作風ではないと考えられていた。同様の作風描かれ宗教絵画に『アレクサンドリアの聖カタリナ (Saint Catherine)』(ティッセン=ボルネミッサ美術館所蔵1598年ごろ)、『聖マタイマグダラのマリア (Martha and Mary Magdalene)』(デトロイト美術館所蔵1598年ごろ)、『ホロフェルネスの首を斬るユーディット (Judith Beheading Holofernes)』(ローマ国立古典絵画館所蔵1598年 - 1599年)、『イサクの犠牲 (Sacrifice of Isaac)』(ピエセッカ・ジョンソン・コレクション所蔵1598年ごろ)、『法悦の聖フランチェスコ (Saint Francis of Assisi in Ecstasy)』(ワーズワース美術館1595年ごろ)、『エジプトへの逃避途上の休息 (Rest on the Flight into Egypt)』(ドリア・パンフィリ美術館所蔵1597年ごろ)などがある。これらの作品広く公開されていたわけではなく比較限られた人にのみ目にする機会があったものだが、カラヴァッジョ名声美術愛好家友人芸術家の間で高まっていった。しかし一般からの評価決定付けるためには、教会装飾絵画のように広く大衆目にする作品必要だった極端なまでの写実主義自然主義作品によって、現代カラヴァッジョ評価ゆるぎないものになっているカラヴァッジョ題材目に見えるとおりに表現し、描く対象理想化することなく欠点短所すらもありのまま描き出した。このことはカラヴァッジョが非常に高い絵画技術有していたことを示している。ミケランジェロのような古典的理想表現こそが絵画あるべき姿だと認識されていた当時において、カラヴァッジョ作風大きな反響呼んだ。この時期カラヴァッジョ作品写実主義だけが最大特徴というわけではなく、当時中央イタリア長期わたって受け継がれてきたルネサンス様式否定したところに大きな意義がある。カラヴァッジョ対象そのまま油彩画へと描きだした、ヴェネツィア風の半身肖像画静物画を特に好んでいた。このような作風がもっともよく表れている当時作品に『エマオの晩餐 (Supper at Emmaus)』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵1601年)があげられる

※この「ローマ時代前期(1592年 - 1600年)」の解説は、「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の解説の一部です。
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