ローマ時代前期(1592年 - 1600年)
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「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ」の記事における「ローマ時代前期(1592年 - 1600年)」の解説
1592年半ばにカラヴァッジョは「おそらく喧嘩」で役人を負傷させ、ミラノを飛び出し「着の身着のままで…行く宛ても食料もなく…ほとんど無一文の状態で」ローマへと逃げ込んだ 。その数ヵ月後カラヴァッジョは、ローマ教皇クレメンス8世のお気に入りの画家だったジュゼッペ・チェーザリ (Giuseppe Cesari) の工房で助手を務め、「花と果物の絵画」で画家としての技量を知られるようになる。このころのカラヴァッジョの作品として知られているのは『果物の皮を剥く少年 (Boy Peeling Fruit)』(ロンギ財団所蔵、1592年ごろ)、『果物籠を持つ少年 (Boy with a Basket of Fruit)』(ボルゲーゼ美術館所蔵、1593年 - 1594年)、『病めるバッカス (Young Sick Bacchus)』(ボルゲーゼ美術館所蔵、1593年ごろ)などがある。『病めるバッカス』は自画像ではないかと言われており、ひどい病気に罹患してチェーザリの工房から解雇された後の回復しつつある自分自身を描いたとされている。これら3点の絵画は精密な写実的表現で描かれており、カラヴァッジョの画家としての名声を高めることになった。『果物籠を持つ少年』に描かれた果物は園芸の専門家によればそれぞれの種類を言い当てることが可能で、例えば籠の右下に垂れ下がっているのは「菌類による病変に侵されて斑に枯れた大きなイチジクの葉」である。 カラヴァッジョは1594年にジュゼッペ・チェーザリの工房から解雇され、独立した画家として生計を立てることを決意した。このころがカラヴァッジョの生涯でもっとも底辺にあった時期だが、画家プロスペロ・オルシ、建築家オノーリオ・ロンギ、当時まだ16歳だったシチリア出身の芸術家マリオ・ ミンニーティら、カラヴァッジョにとって非常に重要な存在となる人々と友人になっている。オルシはすでに成功していた画家で、多くの影響力がある収集家をカラヴァッジョに引き合わせた。一方ロンギはカラヴァッジョに悪い影響を与えた人物で、喧騒に満ちたローマの裏の世界をカラヴァッジョに教えた。ミンニーティはカラヴァッジョのモデルをつとめ、数年後にシチリアでの重要な絵画制作に大きな役割を果たすことになった。 『女占い師 (The Fortune Teller)』(カピトリーノ美術館所蔵、1594年ごろとルーブル美術館所蔵、1595年ごろの2点のヴァージョンが現存)はカラヴァッジョの作品の中で最初に二人以上の人物が描かれた絵画で、モデルになっているのはミンニーティである。ミンニーティ扮する少年がジプシー娘に欺かれている様子が描かれており、このような題材の絵画はそれまでのローマでは見られず、この作品を嚆矢としてその後数世紀にわたって描かれるようになった題材である。しかしながら、この題材で描かれた絵画に人気が出たのは後年になってからのことで、カラヴァッジョ自身はただ同然の価格でしかこの作品を売却できなかった。 『トランプ詐欺師 (The Cardsharps)』(キンベル美術館所蔵、1594年ごろ)は、トランプ詐欺に引っかかる純朴な少年を描いた作品で、題材としては『女占い師』と同様のものである。しかしながら心理的描写はより優れており、カラヴァッジョの作品で最初の傑作とされている。『女占い師』と同じく後世になって人気が出た題材で、50点以上の模写が現存している。さらにこの作品を通じて、カラヴァッジョは当時のローマでもっとも優れた美術鑑定家の一人といわれていた枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテに認められ、後援を受けることに成功した。そして、デル・モンテと取巻きの裕福な美術愛好家たちに依頼され、多数の室内装飾用絵画を描いた。『奏楽者たち (The Musicians)』(メトロポリタン美術館所蔵、1595年 - 1596年)、『リュートを弾く若者 (The Lute Player)』(ウィルデンスタイン・コレクション所蔵、1596年ごろ、バドミントン・ハウス所蔵、1596年ごろ、エルミタージュ美術館所蔵、1600年ごろの3点のヴァージョンが現存)、『バッカス (Bacchus)』(ウフィツィ美術館所蔵、1595年ごろ)や、寓意に満ちているが写実的な『トカゲに噛まれた少年 (Boy Bitten by a Lizard)』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵、1593年 - 1594年とロベルト・ロンギ財団所蔵、1594年 - 1596年の2点のヴァージョンが現存)などである。これらの作品にモデルとなって描かれているのはミンニーティのほか、数人の青少年である。 カラヴァッジョが最初に描いた宗教画は写実的で、高い精神性をもったものだった。宗教を題材とした最初期の作品として『懺悔するマグダラのマリア (Penitent Magdalene)』(ドリア・パンフィリ美術館所蔵、1594年 - 1595年ごろ)があり、描かれているマグダラのマリアはそれまでの娼婦としての生活を悔やんで座り込み、あたりには虚飾を示す宝飾品が散乱している。「宗教的な絵画にはとても見えないかもしれない…濡れた髪の少女が低い椅子に座り込み…良心の呵責に苛まれ…救済を求めているのだろうか」 この作品はロンバルド風の絵画で、当時のローマ風の気取った作風ではないと考えられていた。同様の作風で描かれた宗教絵画に『アレクサンドリアの聖カタリナ (Saint Catherine)』(ティッセン=ボルネミッサ美術館所蔵、1598年ごろ)、『聖マタイとマグダラのマリア (Martha and Mary Magdalene)』(デトロイト美術館所蔵、1598年ごろ)、『ホロフェルネスの首を斬るユーディット (Judith Beheading Holofernes)』(ローマ国立古典絵画館所蔵、1598年 - 1599年)、『イサクの犠牲 (Sacrifice of Isaac)』(ピエセッカ・ジョンソン・コレクション所蔵、1598年ごろ)、『法悦の聖フランチェスコ (Saint Francis of Assisi in Ecstasy)』(ワーズワース美術館、1595年ごろ)、『エジプトへの逃避途上の休息 (Rest on the Flight into Egypt)』(ドリア・パンフィリ美術館所蔵、1597年ごろ)などがある。これらの作品は広く公開されていたわけではなく、比較的限られた人にのみ目にする機会があったものだが、カラヴァッジョの名声は美術愛好家や友人の芸術家の間で高まっていった。しかし一般からの評価を決定付けるためには、教会の装飾絵画のように広く大衆が目にする作品が必要だった。 極端なまでの写実主義と自然主義の作品によって、現代のカラヴァッジョの評価はゆるぎないものになっている。カラヴァッジョは題材を目に見えるとおりに表現し、描く対象を理想化することなく欠点や短所すらもありのままに描き出した。このことはカラヴァッジョが非常に高い絵画技術を有していたことを示している。ミケランジェロのような古典的理想表現こそが絵画のあるべき姿だと認識されていた当時において、カラヴァッジョの作風は大きな反響を呼んだ。この時期のカラヴァッジョの作品は写実主義だけが最大の特徴というわけではなく、当時の中央イタリアで長期にわたって受け継がれてきたルネサンス様式を否定したところに大きな意義がある。カラヴァッジョは対象をそのまま油彩画へと描きだした、ヴェネツィア風の半身肖像画や静物画を特に好んでいた。このような作風がもっともよく表れている当時の作品に『エマオの晩餐 (Supper at Emmaus)』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵、1601年)があげられる。
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