ローマ時代のムルハルト (Vicus Murrensis)
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「ムルハルト」の記事における「ローマ時代のムルハルト (Vicus Murrensis)」の解説
ムルハルト市の始まりはローマ時代、161年にネッカー川の谷から、東のまだ未開であったシュヴァーベンの森の高地にローマ帝国の国境が移されたことに由来する。ローマの城砦建設は、ロルヒ、ヴェルツハイム、マインハルト、エーリンゲン、そしてムルハルトなど、多くの新しい入植地の発端となった。ローマ軍の予備兵は数多くの見張り塔から、手つかずの原生林を通る城砦間の国境非植林地を監視した。 ラテン語で Vicus Murrensis と呼ばれたムル川沿いの当時の村は、ローマのゲルマニア・スペリオル属州のアグリー=デクマーテスに属し、住民の多くはケルト人=ゲルマン人の混血であった。 2005年から UNESCO世界遺産に登録されたリーメスは、市域の真ん中を通っている。ローマ軍団第24部隊 (XXIIII COH VCR) のローマ城砦は旧市街の南都にあったが、その上に建物が建てられ(ロッシュ家の旧邸付近)たため、その遺構を見ることができない。ローマ城砦は、常に川床からの高さ 30 m に建設された。 2010年9月、現在のシュタットミッテ(市中心部)東端での掘削作業中にローマ時代の建物の遺構が発見された。掘り出された浴場施設の遺跡は第24部隊の城砦に比べ、約 10 m 低い位置にあった。床下暖房施設が、これが浴場であったことを示している。1部隊は、現在の1大隊 = 4中隊(各150人)にあたる。建設工事は2010年11月まで中断され、この土地は考古学者によって精密な調査と記録が行われた。 市の北 5 km の墓地の近くに復元された塔があり、周辺(リンデルスト耕作地)にはリーメスの遺跡が多く見られる。Vicusの遺構(ホルツブルンネン)は162年のものである。現在ヴァルテリヒス教会が建つヴァルテリヒスベルクには、ローマ時代には、ローマ兵の信仰を集めた神ミトラ(元々はペルシアの太陽神であった)の神殿とユーピテル柱があった。こうした遺構の中、いくつかが保存されているが、特筆すべきものとして、アルプスの北では唯一のロームルスとレムスとカピトリヌスの雌狼(イタリア語版、英語版)がある。これは現在カール=シュヴァイツァー博物館に収蔵されている。 ローマ帝国の権力を示し、地形をまっすぐに通るリーメスは、レムスタールにおいてはマインツとアウクスブルクとを結ぶ交易路を護るものとして利用された。この防衛施設は、233年に初めてアレマン人によって破壊された(ジーゲルスベルク付近を突破された)が、その後再建された。アレマン人は260年頃にはライン川右岸地区全域を征服し、ムルハルトのリーメス防衛施設も破壊された。 トルビアックの戦い(ドイツ語版、英語版)でフランク人がアレマン人に勝利した後、ムルハルトは496年からフランク王国の王領に属した。
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