ローマ時代とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:26 UTC 版)
「バビロン (エジプト)」の記事における「ローマ時代とその後」の解説
伝統的には、ペルシア人が前6世紀にこの地点に最初に要塞を築いたとされるが、その時は川のそばの断崖上に築かれた。ローマ人がエジプトを征服した時、彼らは古い要塞をそのまま使う一方で、ナイルでの戦略的重要性を認識していた。水の補給問題を解決する為にローマ皇帝トラヤヌスは要塞をよりナイル川近くの現在の位置に移した。それ以来、ナイル川は要塞の北400m地点を流れるようになった。 アウグストゥスの時代に、バビロンは重要な都市となり、3つの軍団の司令部が置かれた。Notitia Imperiiには、バビロンは第八ゲルマニア軍団の宿営地として言及されており、 (It. Anton.(英語版); Georg. Ravenn. etc.) 町と要塞の遺跡は現在でもオールド・カイロ、またはフスタートの北、ストラボンと初期アラビアの地誌著作者によって言及されている大水道の痕跡の間に若干見ることができる。(Champollion, l'Egypte, ii. p. 33.) アラビア人のエジプト征服の間に、要塞は数ヶ月間包囲された後、641年四月に最終的に司令官アムル・イブン・アル=アース の前に陥落した。
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