ローマ時代のブドウ栽培
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 05:08 UTC 版)
「ブドウ栽培」の記事における「ローマ時代のブドウ栽培」の解説
紀元前1200年から900年にかけて、フェニキア人は、後のカルタゴにてブドウ栽培を発展させた。紀元前500年ごろ、カルタゴの作家であるマゴ(Mago)は、このブドウ栽培を28冊の書物に記録し、それが、第三次ポエニ戦争にてローマ軍がカルタゴを壊滅させた際でも喪失を逃れた数少ない業績の一つである。ローマの政治家であるマルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスは、それらの書物に刺激され、紀元前160年ごろ、ローマのブドウ栽培と農業を唱えた『農業論』を記載した。ローマの作家であるコルメラ(Columella)は、西暦65年にローマのブドウ栽培についての詳細な記録を De Re Rusticaという12冊の書物にまとめた。 コルメラの功績は、ブドウ樹の棚仕立てを提唱した最初の一人であった。 コルメラは、他の樹木の幹にブドウ樹を巻き付かせてるという従来の方法をよりも杭に巻き付かせる方法を提唱した。この方法をとると、ブドウの葉に日光がよく差し込むようにするため収穫後に行われる剪定作業を行うため、樹木に上る必要がなくなり、それによる危険性も最小限に抑える事ができるという利点があるからである。 ローマ帝国の領土が西ヨーロッパへ拡大するにつれ、ローマのブドウ栽培も広がり、現在、世界でワインの生産地として有名な地域 - リオハ(スペイン)、モーゼル(ドイツ)、ボルドー、ブルゴーニュ、ローヌ(フランス)でもブドウ栽培が始まった。ローマのブドウ栽培農家は、切り立った斜面がブドウ栽培の理想な場所であるとした。というのも、冷たい空気は斜面を下った後、谷底に溜まるからである。冷たい空気は、ブドウ栽培にとってよい面もあるが、多すぎるとブドウの光合成に必要な温度を奪うことになり、また冬期の霜害の増加につながる。
※この「ローマ時代のブドウ栽培」の解説は、「ブドウ栽培」の解説の一部です。
「ローマ時代のブドウ栽培」を含む「ブドウ栽培」の記事については、「ブドウ栽培」の概要を参照ください。
- ローマ時代のブドウ栽培のページへのリンク