ローマ時代とネーデルラント時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/21 13:39 UTC 版)
「ジョン・マイケル・ライト」の記事における「ローマ時代とネーデルラント時代」の解説
徒弟期間終了後にライトがフランスへと渡ったらしき形跡があるが、ライトの最終的な目的地はイタリアだった。1642年初頭にイングランド系学者ジェームス・アルバン・ギブスの取り巻きとしてローマに滞在していた可能性もあるとはいえ、確実なローマ滞在記録として残っているのは1647年からである。この時期の記録は概略しか伝わっていないが、ライトの絵画技術とその評価は高く、1648年にはローマで一流の芸術家協会であるアカデミア・ディ・サン・ルカのメンバーになっており、「ミケーレ・リタ、イングランドの画家 Michele Rita, pittore inglese」として登録されている。 当時のアカデミア・ディ・サン・ルカにはイタリア人画家だけではなく著名な外国人画家が多く入会しており、フランス人画家ニコラ・プッサン、スペイン人画家ディエゴ・ベラスケスなども登録されている。1648年2月10日には、ローマ・カトリック教義を芸術を通じて広めるために、年に一回パンテオンで美術展を開催していたローマ教皇庁美術アカデミー (en:Pontifical Academy of Fine Arts and Letters of the Virtuosi al Pantheon) のメンバーにも選ばれた。 ライトはローマに10年以上滞在している。この間に数ヶ国語を完全に習得し、さらに美術鑑定家としても高い評価を受けるようになった。稀覯本、版画、絵画、宝石、メダルなどの価値あるコレクションを所有するなど経済的にも成功し、収集したコレクションにはマンテーニャ、ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノ、コレッジョら、ルネサンス期の巨匠の作品も含まれていた。おそらくはコレクションから同数の絵画を売却することによって、新しく14点の絵画を購入したこともある。17世紀の王党派のアマチュア画家リチャード・シモンズ (en:Richard Symonds (diarist)) が残した日記には、1650年代初頭にライトが所有していたコレクションの一覧が書かれており、この記録ではライトがスコットランド人であると記されている。
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