ボヘミア楽派とは? わかりやすく解説

ボヘミア楽派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/01/28 11:08 UTC 版)

ボヘミア楽派(―がくは、英語:Bohemian school)は、ボヘミアにおける作曲家のうち、民族性・地域性と国際的水準との両立を目指した人材の総称。1718世紀の「旧ボヘミア楽派」(Old Bohemian school)と、1920世紀初頭の「ボヘミア楽派」の二つがあり、一般的には後者のことを言う。

19世紀のボヘミア楽派は、シュクロウプによる国民オペラの模索を経て、スメタナによって、標題音楽歌劇性格的小品の創作を中心とする方向性が確定された。フィビフはこの方向にわりあい忠実に従ったが、ドヴォルザークが最晩年になるまで、(室内楽交響曲協奏曲といった)絶対音楽の分野において、民族主義的な表現の可能性を追究した。しかしながら最晩年のドヴォルザークは、交響詩オペラの作曲に戻っている。

20世紀初頭にドヴォルザーク周辺の、従来の国民楽派の発想に飽き足らなくなった作曲家を軸にして、ボヘミア楽派は崩壊した。ヤナーチェクノヴァークは、ボヘミア中心主義に疑問を呈してモラヴィアの民族音楽を調査・分析し、スクオストルチルはごく初期の例を除いて国民楽派から離れ、表現主義音楽へと接近した。フェルステルは教師として同時代の新ドイツ楽派への接近を推奨し、ハーバはノヴァークとシュレーカー耽美主義を経て微分音の利用に進んだ。マルチヌーはフランス新古典主義音楽の洗礼を受けている。こうしてボヘミア楽派の後継者たちは、西欧楽壇のモダニズムアヴァンギャルドに合流した。


ボヘミア楽派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 05:54 UTC 版)

チェコの音楽」の記事における「ボヘミア楽派」の解説

チェコ民族主義への動きもたらしたのはドイツ人哲学者神学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー (1744 - 1803)であった。彼はナショナリズム思想もたらしただけではなくチェコ民謡収集行った。その成果が「古代民謡」(1773/74年)、「民謡集」(1778/79年)、そして「歌に宿る民衆の声」(1807年であった。 これを引き継いだのがボヘミアのフランティシェク・ラディスラフ・チェラコフスキー(英語版) (1799 - 1852) の「スラヴ民族歌」であり、スメタナドヴォルザークヤナーチェク多大な影響与えた。これにモラヴィアのフランティシェク・スシル(英語版) (1804 - 1868) の「モラヴィア国民歌謡」(1835年)とボヘミアカレル・ヤロミール・エルベン (1811 - 1870) の「ボヘミアの歌と俚謡」(1844 - 1864年)が続く。前者に基づく「モラヴィア二重唱曲集」はドヴォルザーク世に出る契機となり、後者エルベンバラッドに基づきドヴォルザークは4曲の交響詩作曲している。 プラハでは、1813年カール・マリア・フォン・ウェーバーがスタヴォフスケー劇場英語版)の指揮者となり楽壇がやや活気取り戻すと、それとともにチェコ語によるチェコ国民のための国民オペラ対す要請気運高まりいうまでもなくウェーバードイツ国民オペラ魔弾の射手」の作曲家である)、いくつかのドイツ語オペラチェコ語翻訳して上演するなどの試験的な動きの後、1826年、ついにフランティシェク・シュクロウプ (1802 - 1862) のチェコ語オペラ鋳掛け屋チェコ語版)」が初演された。シュクロウプ1833年書いた劇音楽「フィドロヴァチカ(チェコ語版)」の中の「わが故郷よいずこ」は、後にチェコスロヴァキア共和国国歌一部となり、分離独立後はチェコ共和国国歌となったこうした動き呼応して様々な組織作り始まった男声合唱団「フラホル(チェコ語版)」が1860年にニンブルク(英語版)の町で結成されプラハプルゼニでもこれに続いた1862年プラハ国民劇場仮劇場開幕する1863年当時有名なピアニストであったベドルジハ・スメタナ (1824 - 1884) を中心に芸術家協会チェコ語版)が創設されスメタナその音楽部長となった1866年オペラ売られた花嫁」が初演され同年スメタナ国民仮劇場指揮者就任し劇場付属歌唱学校設立した。これにより彼の名はチェコ国民楽派創始者として不動地位占めることになったアントニン・ドヴォルザーク (1841 - 1904)、ズデニェク・フィビフ (1850 - 1900) がこれに続き、ボヘミア楽派と総称される一方モラヴィアでは、パヴェル・クシーシュコフスキー (1820 - 1885) がスシルの音楽模範として、モラヴィア民俗歌謡合唱編曲演奏する啓蒙活動行っていた。レオシュ・ヤナーチェク (1854 - 1928) はこのクシーシュコフスキーの教え受けたチェコ音楽は、個性豊かな優秀な音楽家得て国民音楽黄金期迎える。 一口にボヘミア楽派と言ってもその思想大きく二つ分けられるスメタナは、民俗芸術現代作曲技法採用すべきで民謡に基づくべきではないと主張しチェコ伝説民話主題ドイツ・オーストリア流の技法による標題音楽作品創作したフィビフもこれと同じ立場を採った。彼らも作品中民謡や古い音楽引用しなかったわけではない。最も有名な例は「わが祖国」の第5曲ターボル」でのフス派賛美歌汝ら、神の戦士よ」である。ターボルフス教徒根拠地カトリック対す強固な抵抗運動が行われた地で、作品は彼らの抵抗描写している音楽である。また「モルダウ」でもポルカが響くが、これも農民結婚式を描く場面で用いられるこのように伝統音楽引用は、標題となった物語を描くための極めて具体的な場面で用いられているのが特徴である。このため保守派からはチェコ伝統軽視していると批判され続けた。 これに対してドヴォルザークは、スラヴ民謡民族的遺産として積極的に活用し標題持たない抽象的な絶対音楽中でもこれを主題とした作品創作している。既述のとおり、拍節構造明確なボヘミア民謡は、ロマン派音楽主題として用いるのに適しており、哀調帯びた響きその作品特別な魅力与えたドヴォルザーク音楽は、作曲家ヨハネス・ブラームス音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックといった当時ドイツ・オーストリア楽壇中心人物魅了し、その助力得てチェコの音楽広く世界中知らしめることとなったこうした立場の違いには、彼らの出自影響している。スメタナビール醸造技師裕福な家庭生まれフィビフ父親貴族仕え森林管理であった。彼らは普段ドイツ語生活しており、チェコ語はあまり理解できなかった。このため民謡言葉魅力理解できず、その力を信用しきれなかった。一方ドヴォルザーク生家肉屋宿屋を営む家庭であり、日常的にチェコ語を話すばかりか父親旅人相手得意なツィター民謡演奏するといった環境生まれ育ったこのため、彼は民謡魅力知悉し、その力を信用しきることができたのだったスメタナ理念フィビフ受け継がれヨゼフ・ボフスラフ・フェルステル (1859 - 1951)、オタカル・オストルチル (1879 - 1935)といった作曲家継承されていったドヴォルザーク音楽は、ヴィーチェスラフ・ノヴァーク (1870 - 1949)、ヨゼフ・スク (1874 - 1935)、オスカル・ネドバル (1874 - 1930)といったプラハ音楽院弟子引き継がれていった20世紀にはいると、フィビフ弟子一人で、カレル大学音楽学教授にして歴史家、後に文化大臣にも就任したズデニェク・ネイェドリー(英語版)によるドヴォルザーク批判が起こる。国民音楽は詩や歴史とともにあるべきで、標題音楽こそが国民音楽であってドヴォルザーク絶対音楽はこれに値しない、という内容のものであったこうした批判ドヴォルザーク研究権威であったオタカル・ショウレク (Otakar Šourek) が激しく反発しドヴォルザーク交響曲は「抽象的な標題音楽」であり、彼こそチェコ伝統音楽継承するものだと称賛し論争起こった。ヴラディミール・ヘルフェルト(英語版)は、ドヴォルザーク擁護派立場から、ドヴォルザーク音楽民衆出身楽士たちの中から自然に生まれ出た響きであるとして、スメタナドヴォルザークチェコ音楽創造の父であると位置づけた。

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