音楽史上の位置づけとは? わかりやすく解説

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音楽史上の位置づけ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:55 UTC 版)

アントニン・ドヴォルザーク」の記事における「音楽史上の位置づけ」の解説

ドヴォルザーク西洋音楽史上、後期ロマン派位置する作曲家である。この時代にはドイツ・オーストリアイタリア、あるいはフランスといった音楽先進地域の外で国民楽派勃興しドヴォルザークは、1歳年上ピョートル・チャイコフスキーロシア)、2歳年下エドヴァルド・グリーグノルウェー)らとともに、同楽派代表する存在である。同時にベドルジハ・スメタナとともにチェコ国民楽派あるいはボヘミア楽派創始者一人としてドヴォルザークレオシュ・ヤナーチェク初めとする以後作曲家たちに大きな影響与えたドヴォルザークは、ワーグナー派対ブラームス派の対立が明らかとなった時代学習期迎えている。1860年代後半、彼はワーグナー音楽心酔しプラハワーグナーオペラ常時上演していたドイツ劇場(スタヴォフスケー劇場)に足繁く通った1871年作曲したオペラ王様炭焼き第1作には、ライトモティーフ使用切れ間なく続く朗唱風の音楽にワーグナー影響明らかに見て取れる。しかし、この作品失敗作と見なされ、初演迎えことはなかった。ドヴォルザークは、この『王様炭焼き第1作と全く同じ台本異なった音楽をつけ、ナンバー・オペラに仕立てた王様炭焼き第2作以降徐々にワーグナー影響下を脱していく。こうしたドヴォルザーク才能いち早く着目したのは、ワーグナー相対していたブラームスである。ドヴォルザークは、ブラームスや「ブラームス派」の音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックらの推挙によって作曲家としての地位築いた。彼は、こうした先人たちの残した豊かな遺産十全活用しワーグナーから学んだドラマ性、ブラームス着目する構成力を高い次元兼ね備えた作曲家であったとはいえドヴォルザーク音楽とりわけ魅力的にしているのは、シューベルト並び賞される、その親しみやすく美しメロディーである。彼の交響曲第9番第2楽章は、日本語の歌詞つけられ唱歌家路』として親しまれるだけでなく、学校市町村防災行政無線などで夕方時刻知らせメロディーとしても多く利用されている。ピアノ曲ユーモレスク変ト長調(Op.101-7, B.187-7)はフリッツ・クライスラーによるヴァイオリン独奏はじめとする様々な編曲演奏され、耳に馴染んでいるメロディアス作品である。また、歌曲我が母の教えたまいし歌』は、クラシック音楽声楽家のみならず、ポピュラー・シンガーによっても愛唱されている。

※この「音楽史上の位置づけ」の解説は、「アントニン・ドヴォルザーク」の解説の一部です。
「音楽史上の位置づけ」を含む「アントニン・ドヴォルザーク」の記事については、「アントニン・ドヴォルザーク」の概要を参照ください。

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