音楽及びバレエ
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「デンマーク黄金時代」の記事における「音楽及びバレエ」の解説
ナショナル・ロマンティシズムの影響を受けた19世紀デンマークの作曲家は数多い。とりわけ、ヨハン・ペーター・エミリウス・ハートマン(1805年 – 1900年)はオペラ及びバレエ音楽の他、歌やピアノ曲に貢献した。1843年以降、死去までコペンハーゲンにあるノートルダム大聖堂のオルガン奏者であった。彼の作品はロマン主義のみならず古代北欧神話をも題材とした所に特徴がある。 ハンス・クリスチャン・ロンビ(1810年 – 1874年)は、1843年に開館したコペンハーゲンの遊園地チボリ公園の初代音楽監督を務めた。ワルツやギャロップをはじめ国内外の曲を演奏するなどレパートリーが幅広く、1839年にはヨハン・シュトラウス1世によるウィーン・オーケストラの演奏を拝聴。その後同形式の曲を作成し、遂には「北欧のシュトラウス」と渾名された。チボリ公園に関連が深く最も流行した曲の1つに『シャンパン・ギャロップ』があるが、この曲はシャンパンの栓が勢い良く飛び出る音から始まる。なお、『シャンパン・ギャロップ』(1938年)や『冷凍凶獣の惨殺』(1961年)など幾つかのデンマーク映画にも用いられた。 ニルス・ゲーゼ(1817年 – 1890年)は、クラシック音楽の啓発・普及を目的として、1836年に設立された音楽協会「ムジークフォレニンゲン」の発展に尽力。1850年同協会の指揮者に就任したゲーゼは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのマタイ受難曲(1875年)をはじめ、自らの運営の下で数多くの聖歌をデンマーク国内で初披露した。また、コペンハーゲンの音楽学校ではエドヴァルド・グリーグやカール・ニールセンら後進の指導に当たり、交響曲を8作手掛けるなど創作活動に励んだが、中でも『春の幻想曲』はデンマーク国内で最も有名な作品として知られる。
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