20世紀以後の音楽
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ヤナーチェクは、この国民音楽をめぐる論争がスラヴ的=ボヘミア的という文脈で語られ、モラヴィアやスロヴァキアがなおざりにされていることに不満を述べている。ヤナーチェクはボヘミア楽派の作曲家達を尊敬していたのだが、そのどちらに与するでもなく第三の道を選択した。ヤナーチェクは民謡を皮相だけでなくより深く自分のものとするために、民俗学者フランティシェク・バルトシュ(英語版)とともにフィールドワークを行った。民謡が受け継がれてきた場所で、受け継いできた人々から直接採集し、これを研究分析することで民謡は彼の音楽語法そのものとなって再編されたのであった。そして民謡を直接引用するのではなく、その語法を活かした新たな旋律を創作し、西欧から与えられた形式ではなく、それを解体再構成した全く独自の魅力を持つ音楽を創造したのであった。それはモラヴィア民謡がメリスマを連想させる歌謡起源のもので西欧の形式に適さなかったためでもある。 ヤナーチェク晩年の作品は国民音楽をドイツ・オーストリアのロマン派音楽の支配下から脱却させることとなった。そして、特にモラヴィアの東部から民謡の精神に根ざした新たな現代音楽の再編が起こったのである。その流れは先述のスメタナ派やドヴォルザーク派の継承者達にも影響を与え、新古典主義のボフスラフ・マルティヌー (1890 - 1959) や微分音による音楽を開拓した前衛音楽家アロイス・ハーバ (1893 - 1973)、あるいはミロスラフ・イシュトヴァン(英語版) (1928 - 1990) らに受け継がれていった。
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