20世紀以降から現代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:28 UTC 版)
「イスタンブール」の記事における「20世紀以降から現代」の解説
20世紀初め、青年トルコ人革命により廃位されたアブデュルハミト2世や一連の戦争は病んでいる帝国の首都を悩ませた。これらの第一次世界大戦の終わりはイギリスやフランス、イタリアによるコンスタンティノープルの占領(英語版)の結果となった。遂にはオスマン帝国最後の皇帝であったメフメト6世が1922年11月に亡命し、翌年ローザンヌ条約によりコンスタンティノープルの占領は終わり、アンカラのトルコ大国民議会でムスタファ・ケマル・アタテュルクはトルコ共和国の建国を宣言し共和国が認められた。共和国の初期の頃、オスマンの歴史から新しい世俗的な国を遠ざけるためイスタンブールはトルコの首都の選択から外されアンカラが支持された。しかしながら、1940年代後半から1950年代初めにイスタンブールは大きな構造変化を経験し、新しい公共広場や大通り、道路が市内中で建設され、時には歴史的な建築物が犠牲となった。アナトリアの人々が膨張するイスタンブールの郊外に建設された新しい工場の雇用を見付けるため市内に移住したため、1970年代に急増が始まった。都市のこの突然の人口の増大は大規模な住宅開発の需要の要因となり、以前の中心部から離れた村や森はイスタンブールの大都市圏に飲み込まれた。 1984年に大都市自治体として指定され、2004年の指定範囲拡大により指定区域はイスタンブール県全県となっている。
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