歴史的な建築物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:10 UTC 版)
ブカレスト市内の中世の建物はそのほとんどが共産主義時代の体系化政策による破壊や多くの火災、軍事的な侵害により失われた。現在でも中世期やルネサンス期の建築物のいくつかは残されているが、注目されるのはリプスカニ地区である。1808年に建てられたHanul lui Manucやヴラド・ツェペシュの時代に建てられたCurtea Vecheの跡は注目される。中世、リプスカニ地区はブカレストの商業の中心であった。1970年代以降、市街地の衰退で多くの歴史的な建物は荒廃した。2005年にリプスカニ地区は全体が歩行者用の区域になり、徐々に修復が進んでいる。 ブカレスト中心部は19世紀後半から20世紀初頭の建築物が多く、特に戦間期はしばしばブカレストの黄金期と見なされている。この時代、ブカレストは都市の規模や富が急成長しパリのような他の欧州の首都を模倣するようになった。多くの建物は当時の最先端の建築様式に属し、ホーリャ・クレアンガ(ルーマニア語版、英語版)とマルセル・ヤンク(ルーマニア語版、英語版)に先導され、街の景観を一変した。二つの卓越した建物のうち、クレツレスク宮殿(英語版、ルーマニア語版)は現在、UNESCOの欧州にある高等教育機関UNESCO-CEPES(英語版)が入っている。もう一つのコトロチェニ宮殿(英語版)は現在、ルーマニア大統領の官邸として使われている。市内で一番賑わっている駅であるブカレスト北駅や、ルーマニア国立銀行本店 (en) 、ブカレスト電話局(英語版)などもこの時代に遡る。ブカレスト中央部や北部では19世紀から20世紀にかけて富裕層のヴィラが建てられたが、1990年代後半から修復が進められている。
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