ボヘミア出身の妻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 06:02 UTC 版)
「ウラジーミル1世の家庭生活と子どもたち」の記事における「ボヘミア出身の妻」の解説
ウラジーミルにはあきらかにチェコ人の妻がいたようである。ヴァシーリー・タチシェチェフはこの女性の名をマルフリーダとしている。歴史家のなかにはこのこととボヘミアとウラジーミルの政治的関係を結びつけようとするものがある。一方、チェコの君主たちは、ウラジーミルよりはその兄弟ヤロポルクを頼っていたようである。この結婚からは、おそらくスモレンスクのスヴャトラスフ(1015年に戦死)、チェルニーゴフのムスティスラフが生まれた。一方、いくつかの年代記では、ムスティスラフの母をログネダであるとしている。
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