ボヘミア四重奏団とは? わかりやすく解説

ボヘミア四重奏団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 22:44 UTC 版)

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ボヘミア四重奏団
1895年のボヘミア四重奏団
(左から順にカレル・ホフマン、ハヌシュ・ヴィハーン、オスカル・ネドバル、ヨセフ・スク)
基本情報
別名 チェコ四重奏団 (1918-1934)
出身地 オーストリア=ハンガリー帝国
ハンガリー王国 ブダペスト
ジャンル 弦楽四重奏
活動期間 1891年 - 1934年
メンバー カレル・ホフマン(ヴァイオリン)
ラディスラフ・ゼレンカ(チェロ)
イェジー・ヘロルド(ヴィオラ)
スタニスラフ・ノヴァーク(ヴァイオリン)
旧メンバー オタカル・ベルゲル(チェロ)
ハヌシュ・ヴィハーン(チェロ)
オスカル・ネドバル(ヴィオラ)
ヨセフ・スク(ヴァイオリン)

ボヘミア四重奏団は、1891年に結成された弦楽四重奏団1918年よりチェコ四重奏団 (チェコ語: České kvarteto) に改名し、1934年に解散した。また、スク四重奏団と呼ばれたこともあった。

歩み

ブダペストにおいて、アントニン・ベネヴィッツの3人の門人(カレル・ホフマン、ヨセフ・スクオスカル・ネドバル)と、ハヌシュ・ヴィハーンの門人(オタカル・ベルゲル)によって結成された。ヴィハーン自身がミュンヘン宮廷のルートヴィヒ2世専属の弦楽四重奏団員を務めたチェリストであり、1888年からプラハ音楽院の教授を務めていた。門弟のベルゲルが夭折すると、自らその後任チェリストを務めて四重奏団を監督したが、1913年には演奏旅行の激務のために、演奏活動から引退せざるを得なくなり、教職に復帰している。ヴィハーンの後任は、ラディスラフ・ゼレンカであった。ゼレンカは1911年からシェフチーク=ラツキー四重奏団のチェリストだった人物である。1906年ヴィオラ担当のネドバルが退団するとイェジー・ヘロルドを、1933年に第2ヴァイオリンのスクが引退するとスタニスラフ・ノヴァークをそれぞれ後継者として迎えている。

ボヘミア四重奏団は、特にスメタナドヴォルジャーク弦楽四重奏曲に力を入れてヨーロッパ各地で演奏旅行を繰り返し、温かな音色と強烈なリズムで評価された。1922年には団員全員がプラハ音楽院の教授に迎えられている。多くの作曲家から作品を献呈されたり、あるいは数々の作品の世界初演を行なっており、例えばヤナーチェクの《ないしょの手紙》もその一例にほかならない。主要なレパートリーであった同胞の作品のいくつかを録音に遺しており、団員だったヨセフ・スクの作品も取り上げている。

参考文献

  • A. Eaglefield-Hull, A Dictionary of Modern Music and Musicians (Dent, London 1924).
  • -. Boleska, Ten Years of the Czech Quartet (M. Urbánek, Prague 1902).
  • J.R. Bennett, Smetana on 3000 Records (Oakwood Press 1974).
  • R.D. Darrell, The Gramophone Shop Encyclopedia of Recorded Music (New York 1936).




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