ショパン:バラード第2番 ヘ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ショパン:バラード第2番 ヘ長調 | Ballade F-Dur Op.38 CT3 | 作曲年: 1836-39年 出版年: 1840年 初版出版地/出版社: Breitkopf & Härtel 献呈先: Robert Shumann |
作品解説
ショパンがピアノ曲に用いたスタイルを観察する方法は幾通りもあるが、抒情的なものと物語的なもの、という分類がひとつ可能だろう。前者の代表は《ノクターン》、《マズルカ》であり、後者の典型が《バラード》と《スケルツォ》である。
抒情的な構成において各フレーズや音型は羅列的で、その連結がきわめて緩やかであるのに対し、物語的な構成では、1曲の中にいわば起承転結を感じることができる。なぜ明確なドラマ性が生じるかといえば、まず、和声の進行が明解で、とりわけドミナント-トニック(転から結へ進む部分)の定型がよく守られるからである。また、各動機は変奏や転回、反復、拡張などの手法を用いて発展することもあり、ヴィーン古典派のソナタのような労作はなされなくとも、複数の主題が複雑に組み合わされて曲が作られている。
つまり、《バラード》、《スケルツォ》、《ボレロ》など物語的構成を持つ作品では、ダイナミックでドラマティックな、始まりから終わりへ必然をもって突き進むような音楽的時間が生み出されるのであり、こうした要素が鑑賞上のポイントとなっている。(蛇足ながら、抒情的な作品では、わずかずつ変容しながらも留まり続け、戻りも進みもそれほど明確でない、いわば音楽的空間の中に、鑑賞者の耳を遊ばせることになる。)
さて、では、各4曲が残されている《バラード》および《スケルツォ》の違いはどこにあるのか。
これらがジャンルとしてショパンの創作の中で隣接していることは、音楽を見れば何より明らかである。しかも、両ジャンルを形式から明確に区別することはほとんどできないように思われる。ひとつには、これがショパンに固有のジャンルであるからで、それぞれが由来すると思われるジャンルの伝統を調べても手がかりは出てこない。しかし、音楽の外形からは区別できなくとも、それぞれの音楽内容、いわば物語の内容はやや異なっている。
《スケルツォ》はイタリア語で「冗談」を意味し、従来は簡明な形式で明るく軽く小規模な曲を指した。ベートーヴェンがメヌエットに代えてソナタの第3楽章に取り入れた時も、やはり極めて急速でユーモアに富んだ性格が与えられた。ショパンの《スケルツォ》は、一見するとこうした伝統にまったく反し、暗く深刻なうえに大規模である。だが、《バラード》と比べてみると、《スケルツォ》がいかにユーモアを内包しているかがよく判る。4つの《スケルツォ》にはいずれも、きわめて急速でレッジェーロな動機がひとつならず登場し、随所で「合いの手」を入れている。また、各部で短いサイクルで交代する音量のコントラストが指定されている。
こうした手法が《バラード》にはほとんどない。各動機、各音は前後のしがらみに囚われており、逸脱を許されない。沈鬱な主題が次々と現われ、それらは鬱積して怒濤をなし、ついには破滅的な終末を迎える。《スケルツォ》が軽妙な音型や滑稽なまでのコントラストでこの種のストレスを解消するのとは、対照的である。
なお、《バラード》4曲はすべて複合2拍子、《スケルツォ》は3拍子で書かれており、これが唯一の外形的な特徴といえなくもない。が、《スケルツォ》は全篇を通じてほとんどが2小節で1楽句を作るため、やはり2拍子の強烈な推進力を内包している。
《バラード》はショパンがピアノ作品に初めて用いた名称で、直接的には、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィチのバラッドにインスピレーションを得た、といわれている。具体的にどの詩がどの曲に当てはまるのかは諸説あるが、どれも確証は得られず、俗説に留まっている。しかし、ショパンがたとえ実際にいずれかの詩をもとに作曲を進めたにせよ、これほど豊かな音楽性を秘めて結実した作品を何かひとつの筋書きに当てはめ、聴き手の想像力を制限することは、作曲家の本意ではあるまい。
より広く視野をとるなら、1820年代にワルシャワ界隈ではバラッドなる歌曲が流行しており、こうした文学上のジャンルはショパンの精神生活にはなじみ深いものだったと考えられる。加えて、シューベルトのバラードや、パリのグランド・オペラに用いられたバラード風のアリアなどもショパンに大きな感銘を与えた。従って、あらゆる体験が集約して独自の新ジャンル《バラード》が誕生したとみるべきだろう。
《バラード》第2番は、シチリアーノのリズムによるAndantinoと、激しい16分音符の分散和音に伴われたPresto con fuocoの交代で構成される。各部は登場のたびに変奏される。ばかりか、徐々に各部が短いサイクルで交代するようになる。ここに「静」と「動」、「正気」と「狂気」の闘争を容易に見て取れる。しかしそれは、侵される静寂、蝕まれる正気である。2回目のAgitato主題は、間に中断や逸脱を挟みつつ再現され、真の狂気が実はPresto主題ではなく、Andantino主題に潜んでいることが徐々に明かされる。とりわけ第115小節にTempo Iの指定の下で現われるAndantino主題は重要な意味を持つ。この主題には非和声音がいびつに絡みついて、ひどく不気味である。いっぽう、Presto主題と、最終的にこれを引き継ぐAgitatoのコーダは、加速しつつもほぼ正確な8分の6拍子を刻み、変奏といっても和声リズムは速く単純で、大きな逸脱を起こさない。ただひたすらに音量と激しさを増すのみである。最後に4小節だけ回帰するAndantino主題は言い差しのまま力なく、激しい闘争はたった3音の短く弱々しいカデンツで終わる。ここで取り戻されたひとときの静寂は、実はすでに狂気に冒された見せかけの正気なのだ。
このようにみると、《バラード》第2番にはほとんど一片の救済もない。しかしシューマンの証言によれば、1836年にショパンが弾いて見せたときにはヘ長調で終わった。その後も出版される1840年までショパンは推敲し続け、様々なバージョンを人に聴かせもしたらしい。この作品がショパン秘蔵の自信作であり、いっけん単純に見える構造も入念な検討の末に選ばれたものであることが判る。
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