ナッシュビル移転後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 22:04 UTC 版)
「テネシー・タイタンズ」の記事における「ナッシュビル移転後」の解説
1998年シーズン中、ナッシュビルに相応しい新しい愛称を募集した。この時、オイラーズから愛称が変更されても、引き続きヒューストン・オイラーズ時代の歴史を引き継いでいく明言した。新チームの名称を決めるための委員会が設けられたがそこでアダムスはパワー、強さ、リーダーシップといったイメージが連想される名称とすることを求めた。1998年12月22日に新しいチーム名がテネシー・タイタンズとなることが発表された。 1999年、ナッシュビルに新スタジアムとなるアデルフィア・スタジアム(現:ニッサン・スタジアム)が開場し新たな本拠地となる。この年、チームはジャクソンビル・ジャガーズに地区優勝こそ譲ったものの13勝3敗で地区2位となりプレーオフに出場。その第1戦となるバッファロー・ビルズ戦で、 後にミュージック・シティ・ミラクル(Music City Miracle)と呼ばれるようになるビッグ・プレイが飛び出す。残り16秒でビルズのフィールドゴールが決まり15-16とリードを許した直後、キックオフをレシーブしたロレンゾ・ニールからのハンドオフを受けたタイトエンドのフランク・ワイチェックが、自陣から見て左サイドライン際にいたケビン・ダイソンにラテラルパス(横方向のパス)を送ったのである。ボールを受けたダイソンは75ヤードを走り逆転のタッチダウンを挙げた。キックオフ・リターン中のパスプレイという虚を突いたこのプレイは「ホームラン・スローバック」と呼ばれている。その後インディアナポリス・コルツ戦ではエディ・ジョージがチームのプレーオフ記録となる162ヤードを走り、ディフェンスは相手の2年目QBのペイトン・マニングのパスを43回中19回しか成功させず19-16で勝利した。ジャガーズに対してはディフェンスが6回のターンオーバー、セイフティ1回を記録し33-14で勝利し第34回スーパーボウルに出場した。最後の攻撃でケビン・ダイソンが残り1ヤードのところでタックルされて(このプレイはザ・タックルと呼ばれている。)タッチダウンが奪えず16-23で敗れた。なおタイタンズはこの年14勝2敗の成績を残したジャガーズを破った唯一のチームとなった(レギュラーシーズン2勝及びAFCチャンピオンシップゲーム) 2000年、チームは13勝3敗でオイラーズ時代の1991年、1993年に次いで3度目のAFC中地区優勝を果たしたがプレーオフ初戦でその年の第35回スーパーボウルを制したボルチモア・レイブンズに敗れた。 2002年、この年から再編となったAFC南地区優勝を果たしたがAFCチャンピオンシップゲームでオークランド・レイダースに敗れた。 2003年、所属のスティーブ・マクネアがペイトン・マニングとシーズンMVPを分け合う活躍を見せたが第38回スーパーボウルを制したニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。 2004年、主力選手に怪我人が多く出たため5勝11敗に終わる。シーズン終了後チームのフロントはデリック・メイソン、サマリ・ロール、ケビン・カーターなど多くの選手をトレードしたり契約を打ち切った。これはチームがサラリーキャップをオーバーしたためである。 2005年、NFL1若いチームとなる。ドラフト1巡指名のコーナーバック、パックマン・ジョーンズ、オフェンスタックルのマイケル・ルース、3人のワイドレシーバー(ブランドン・ジョーンズ、コートニー・ロビー、ロイデル・ウィリアムス)などのルーキーがプレイした。このシーズンは4勝12敗に終わった。 2006年、スティーブ・マクネアはこの年のドラフト4巡目指名権と引換えにボルチモア・レイブンズに移籍となる。結果8勝8敗に終わったがヴィンス・ヤング(この年のドラフト全体3位で指名)が先発した試合では6連勝を含み8勝5敗であった。 2007年、10勝6敗となりプレーオフに出場したが1回戦でサンディエゴ・チャージャーズに敗れている。 2008年、開幕戦でQBのヴィンス・ヤングが負傷し、ケリー・コリンズが先発することとなったがチームはニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕から10連勝を果たし、シーズンを13勝3敗で終えプレーオフの第1シードを獲得した。しかしディビジョナル・プレーオフでボルチモア・レイブンズに敗れてシーズンを終えた。 2009年、チームはコリンズと2年間1500万ドルの契約を結んだ。開幕前期待されたものの開幕戦から6連敗を喫した。次の試合より先発QBをケリー・コリンズからヴィンス・ヤングに変更した後、連勝を続け奇跡のプレーオフ進出なるかと注目を浴びプレーオフは逃したものの8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン最終戦まで11試合連続で100ヤードラッシュを見せたクリス・ジョンソンが史上6人目となるシーズン2000ヤードラッシュを達成した。ジョンソンはRBとしてのリーグ最高年俸を期待し契約の見直しを要求、8月にチームが提示した金額での契約に応じた。 2010年、チームはNFL選手会代表も務める、プロボウルCのケビン・マワイと再契約を結ばなかった。また5年間で38.5サックをあげたカイル・バンデンボッシュも失った。チームは5勝2敗と好スタートを切ったもののヴィンス・ヤングが負傷した後、成績は低迷し残り9試合で8敗し、6勝10敗に終わりプレーオフ出場を逃した。ヴィンス・ヤングは戦力外を通告された。ジェフ・フィッシャーヘッドコーチはアダムスオーナーより続投を明言されたがその後解任され、マイク・マンチャックがヘッドコーチに就任、シアトル・シーホークスからQBマット・ハッセルベックを獲得した。 2011年、シーズン開幕戦直前までクリス・ジョンソンがホールドアウトを行い、開幕戦にこそ間に合ったものの、最終的に1,047ヤード獲得 (1回平均4.0ヤード)と、自己最低の成績に終わった。しかし、ハッセルベックがムーン以外ではチーム初となる年間パス3,500ヤードを達成するなどの活躍もあり、シーズンは9勝7敗で終えた。タイブレークにより、チームはプレーオフこそ逃したが、先発QBとHCが変わったにもかかわらず、下馬評を大きく上回る活躍を見せた。 2012年、2年目のQBジェイク・ロッカー(ドラフト全体8位指名)がハッセルベックとの先発争いに勝って、エースQBに指名された。ロッカーは、第4週に負傷退場、左肩を脱臼していることが分かった。 2013年、三年連続してプレーオフ出場を逃してHCのマイク・マンチャックは解任された。 2014年、ケン・ウィゼンハントがHCに就任した。だがチームは二年連続して地区最下位となる。 2015年、この年までの間に新スタジアムの命名権者の破綻などにより名称は変遷していたが、新命名権者が日産自動車となり、スタジアム名はニッサン・スタジアムとなる。これは20年の長期にわたる命名権契約である。この年のドラフト全体2位でQBマーカス・マリオタを指名した。シーズン終盤にウィゼンハントは解任され、マイク・ムラーキーが臨時HCとなる。 2016年、この年もマイク・ムラーキーがHCを勤め地区二位となったがプレーオフは逃した。 2017年、ワイルドカードでプレーオフに進出し、初戦はカンサスシティ・チーフスを破ったが二戦目でニューイングランド・ペイトリオッツに敗れた。翌日、マイク・ムラーキーは退任し、後任はマイク・ブレイベルが就任した。 2018年、最終戦で敗れてプレーオフ進出を逃した。 2019年は、シーズン途中からマーカス・マリオタに代えて、マイアミ・ドルフィンズからトレードされたライアン・タネヒルを先発QBとして起用し始めた。シード6位のワイルドカードでプレーオフ進出を果たし、初戦では前年のスーパーボウルチャンピオンでシード3位のニューイングランド・ペイトリオッツを破り、第二戦ではシード1位のボルティモア・レイブンズを破った。だがAFCチャンピオンシップゲームではカンサスシティ・チーフスに敗れた。 2020年、マリオタはラスベガス・レイダースに移籍した。デリック・ヘンリー(RB)の史上8人目となる2000ヤード超えランなどの活躍もあり、最終戦で勝利し11勝5敗で地区優勝を遂げた。プレーオフでは初戦でボルティモア・レイブンズに敗れた。 2021年は、アトランタ・ファルコンズよりWRフリオ・ジョーンズをトレードで獲得した。12勝5敗でカンファレンス1位となり、プレーオフではワイルドカード・ラウンドを免除されたが、初戦でシンシナティ・ベンガルズに敗れた。
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