ナッシュ・モーターズ社
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「ナッシュ・モーターズ」の記事における「ナッシュ・モーターズ社」の解説
ナッシュモーターズはゼネラルモーターズ(GM)の社長だったチャールズ・W・ナッシュがGMを離れた後、トマス・B・ジェフリー・カンパニーを買収して1916年に創業した会社である。ジェフリーは自動車創成期に「ランブラー」ブランドの自動車を生産したことで知られている。 会社創業時の成功の多くは、チャーリー・ナッシュが信頼を置いていたフィンランド出身の技術者ニール・エリック・ワルバーグ(Nils Erik Wahlberg 1885-1970)によるところが大きかった。ワルバーグはフィンランド(当時ロシア帝国領)とスイス、フランスで工学を学び、1909年に渡米してからは高級車メーカーのパッカードと軽量大衆車メーカーのトーマス・モーターで自動車開発の経験を積んだ人物で、自動車業界でその技術者としての技量を見込んだチャーリー・ナッシュにスカウトされてナッシュ社創業に参画した。彼は1920年代後期にはナッシュ社の技術担当重役となり、1952年に退職するまでナッシュの技術面の多くを担った。 ワルバーグは風洞実験のパイオニアで、また、現代的なフロースルータイプベンチレーション(吹き抜け式通気機構)を自動車にもたらした技術者でもある。これは新鮮な外気を自動車の空気循環機構に取り入れ、前方から導入して暖めたり冷やしたりした空気を、後方に向けて設置した通気口(ベント)から排気するものである。この技術は、除湿や、走行中の車内と車外との気圧均一化にも効果があった。排気まで考慮しない原始的な開閉式ベンチレーターに頼っていた他社に比べ、極めて進んだ方式であった。 シャーシ設計にも独自性が見られ、前後車輪間の幅(トレッド)が同じでない独特の特徴をもったモデルもあった。後輪よりも前輪のトレッドが少し狭めたもので、コーナリング時の安定性が高まった(深いわだちのある道では却って乗り心地を悪くしたが)。 1920年代末以降、1930年代にかけてのナッシュ社は「顧客に支払い以上のものを与えよ」("Give the customer more than he has paid for")というスローガンを打ち出したが、実際に当時のナッシュ車はその言葉に値する優秀な製品であった。 当時の革新的な設計としては直列8気筒エンジンがある。各気筒間全てにベアリングを配置し剛性を高めた9ベアリングクランクシャフトと吸排気効率の良いオーバーヘッドバルブ(OHV)機構を組み合わせて高速化に適した構造とし、しかも点火の確実なツインスパークプラグも装備した、高級な設計であった。1932年のアンバサダーは、変速を容易にするシンクロメッシュ・トランスミッション、フリーホイール(登坂・加速時以外は惰性で走行可能で燃費を改善できると喧伝され、1930年代に一時流行したがその後廃れた)、自動集中シャーシ注油(当時ロールス・ロイスなど限られた高級車メーカーが採用していた高度なシステムである)、低床化に役立つウォームギアドライブリアエンドを採用し、サスペンションは車内から調整できた。
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