イラクとクウェートの摩擦とは? わかりやすく解説

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イラクとクウェートの摩擦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:41 UTC 版)

湾岸戦争」の記事における「イラクとクウェートの摩擦」の解説

1988年8月20日イラクシーア派イスラーム共和制国家イランとの8年間に及ぶイラン・イラク戦争停戦迎えた戦争中五大国アメリカソビエト連邦中華人民共和国イギリスフランス経済的に豊かなペルシア湾岸のアラブ諸国援助されイスラエルのぞいた中東では最大かつ世界的に第四位の軍事大国となったが、600ドルもの膨大な戦時債務抱え戦災によって経済回復遅れていた。イラク外貨獲得手段石油輸出しかなかったが、当時原油価格は1バーレルあたり15~16ドル安値で、イラク経済行き詰っていた。 イラク戦時債務返済できないことから、アメリカ余剰農産物輸出制限し始めた食料アメリカ頼っていたイラクはすぐに困窮してしまった。また、アメリカ工業部品などの輸出拒み始めたことで、石油採掘やその輸送系統についても劣化始まりフセイン大統領追い詰められた。 フセイン大統領OPEC対し原油価格を1バーレル25ドルまで引き上げるよう要請していた。この要求は突然のものではなく7月10日サウジアラビアジッダ開かれたサウジアラビアクウェートイラクカタールアラブ首長国連邦産油5カ国による石油会議において、原油価格引き上げ希望していたが、OPEC聞き入れなかった。 一方サウジアラビアクウェートアラブ首長国連邦OPEC割当量を超えた石油増産行っていた。サウジアラビア表向きOPEC指示に従っていたが、国有油田とは別にサウード家私有物として石油採掘し海外売りさばいていた。クウェートアラブ首長国連邦OPECを完全無視し大量採掘原油価格値崩れし石油価格大きく下がり、石油輸出依存していたイラク経済打撃与えていた。 1990年7月17日イラク革命記念日での演説においてフセイン大統領は「一部アラブ諸国が、世界原油価格下落させることにより、イラク毒の短剣背後から突き刺そうとしている。彼らが言葉警告して分からないのならば、なんらかの効果的手段を取る」と間接的にクウェートアラブ首長国連邦非難した。 これを受けてアラブ首長国連邦石油増産を一応縮小したが、クウェートいかなる行動も起こさなかった。7月18日イラクターリク・アズィーズ外相は、クウェートアラブ首長国連邦OPEC生産協定破り生産越えた石油生産により、アラブ全体5000ドルもの損失被った主張。そしてクウェートに限れば、イラクが890億ドル損害被ったばかりかイラク領土にあるルマイラ油田から石油盗掘しているとし、盗掘1980年代から続いており、イラク24ドルも損をしていると述べた。さらにクウェートが、国境付近イラク領内軍事基地建設していると非難したクウェートルマイラ油田から大量採掘行ったが、この油田は、イラク領有主張過去幾度か帰属巡って対立してきた歴史がある(地下でイラク・クウェートの油田繋がっていると考えられた)。イラク批判に、クウェートジャービル首長は、単なる金目当て脅し判断しイラク主張否定すると共に、軍を動員したまた、クウェート国内では石油利益配分巡って対立起こっており、政府イラク無償援助した100ドル返済させる運動起こったため、クウェートイラク返済働きかけたが、当然ながらイラクには返せ財産はなく、反対に更なる援助要求され両国外交的衝突至った。 この事態周辺アラブ諸国仲介乗り出し7月20日サウジアラビアサウード・アル=ファイサル外相同国ファハド国王親書携えてイラク訪問同日アラブ連盟のチェディル・クライビー事務総長クウェート訪れてジャービル説得した。そして、クウェート政府イラクとの間で盗掘問題交渉することに合意した発表し、軍の動員解除した。 これらの外交交渉は実は、内心イラクの軍事脅威恐れクウェート側がサウジアラビアアラブ連盟19日段階働きかけいたものだった。7月21日には、エジプトホスニー・ムバラク大統領が、フセイン大統領電話会談し慎重な対応をするように説いた22日にはエジプトアズィーズ外相訪れたが、同日イラク国営通信は、「クウェート湾岸への外国勢力侵入手を貸している」というイラク政府報道官談話発表し国営紙「ジュムフーリーヤ」も「クウェートはまだイラク油田盗掘止めていない」と、イラクによる激しクウェート非難は収まらなかった。 事態重く見たムバラク大統領は、問題解決のためにイラク・クウェート両国訪問する意思があると表明しアラブ外相会議開催求めた一方で当事者であるイラククウェートに対して非難合戦止めるよう求めた。しかし、そんなアラブ各国の動き横目にイラク7月24日クウェート国境に3万人兵力集結同日ムバラク大統領イラク訪問しフセイン大統領に対してクウェート軍事行動起こさぬよう釘をさし、イラククウェートサウジアラビアエジプトから成る4カ国会議を提案した。これに対してフセイン大統領は、クウェート側への要求として、石油盗掘分の24ドル支払い国境画定向けた直接交渉求め受け入れられなければイラク軍事行動を取ると述べたムバラク大統領提案した4カ国会議は、クウェート有利なものであったため、イラク孤立することを恐れたフセイン大統領は、7月25日に4カ国会議を拒否しあくまでもクウェートとの直接交渉求めた同日フセイン大統領会談行ったアメリカのエイプリル・グラスピー駐イラク特命全権大使が、この問題に対して不介入表明したこともあり、ついにイラク軍動いた7月27日にはクウェート北部国境共和国防衛隊集結アメリカ軍偵察衛星確認した集結した戦車隊砲門南側へ向け、威嚇していた。 アメリカはこれを周辺アラブ諸国通知したが、湾岸諸国はあくまでクウェート対す脅し考え、まるで相手にしなかった。OPECフセイン大統領懐柔する為に原油価格それまで18ドルから21ドル引き上げたが、フセイン大統領はすでに交渉による解決関心を示さなかった。一方クウェートは、充分な防衛体制を敷かなかった。7月31日ジッダ開かれた両国会談では、イラク側代表のイッザト・イブラーヒーム革命指導評議会副議長これまでの要求加えてイラク長年領有権主張していたワルバ島(英語版)とブービヤーン島イラク割譲せよ、と要求エスカレートさせた。これに対してクウェート側代表のサアド首相イラク要求拒否すると共に話し合い継続希望するとだけ答えたイラクは、次回協議バグダードで開くことをほのめかし会議成果無く終了した8月1日に、両国仲介していたムバラク大統領パレスチナ解放機構(PLO)のヤーセル・アラファト議長は「イラクのクウェート侵攻は無い」とクウェート明言し自国テレビで断言したイラククウェート武力衝突避けられる思われた。

※この「イラクとクウェートの摩擦」の解説は、「湾岸戦争」の解説の一部です。
「イラクとクウェートの摩擦」を含む「湾岸戦争」の記事については、「湾岸戦争」の概要を参照ください。

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