イラクとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:29 UTC 版)
2000年にはイラクのサッダーム・フセイン大統領の元に訪問し双方はともに石油輸出国機構(OPEC)の役割を強化し、世界の石油価格を安定させ、産油国と消費国の利益を調整しバランスをとる必要性を強調した。アメリカはチャベス大統領のイラク訪問を批判したが、「OPEC内部のことに対する干渉は受け入れられない」と反発した。2003年、アメリカのブッシュ政権はイラク武装解除問題の進展義務違反(大量破壊兵器保有)を理由として、イギリス、オーストラリアに、工兵部隊を派遣したポーランドなどが加わる有志連合と共に、イラク攻撃に関する国連決議のないまま、イラクに侵攻。フセイン政権を武力により排除した。ところが、のちにイラクに大量破壊兵器保有の事実が存在しない疑惑が浮上。2004年10月にはアメリカが派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」との最終報告を提出した。チャベス大統領はブッシュ大統領を「大量虐殺者」「犯罪者」と口をきわめて非難している。後にチャベス大統領はカストロとの会談で、フセイン大統領が無抵抗でアメリカ軍に捕まった事を批判し、もしベネズエラ・キューバ両国が米国の進攻を受けたならば、お互いともに抵抗して自決すると誓い合った。 「イラク戦争」も参照
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