イラクとペルシアとは? わかりやすく解説

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イラクとペルシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:48 UTC 版)

イブン・バットゥータ」の記事における「イラクとペルシア」の解説

メッカひと月過ごした後の1326年11月17日アラビア半島横断してイラクへ戻る大規模な巡礼キャラバン参加した一行はまず北のマディーナ向かった日中避け夜に旅を続け、やがて北東へと進路変えるナジュド平野横断しナジャフへとたどり着いた2週間の旅であったナジャフではアリー廟(英語版)を訪れている。 その後バグダードへ向かうキャラバン別れイブン・バットゥータは、ペルシア入り6ヶ月回り道をする。ナジャフからワースィトへ、そしてチグリス川南下してバスラ訪れる。そこからザグロス山脈越えエスファハーンへ向かう。そして南へ向かいシーラーズ訪れる。シーラーズモンゴル侵略の際にも破壊免れて繁栄誇っていた。ようやく彼は山道戻り1327年6月バグダード到着するバグダードはいまだ街の至るところフレグ1258年侵略の際に残した破壊痕跡残っていた。 バグダードにて彼はイルハン朝最後君主アブー・サイード大勢従者引き連れて街を北へ向かうところを目撃している。イブン・バットゥータはしばらくそのロイヤル・キャラバンに随行しその後シルクロード北へ向かいタブリーズ訪れたモンゴルへの道を開いた最初の街であり、この地域の他の交易都市モンゴルにより徹底的に破壊されていたため、タブリーズ交易要衝となっていた。 おそらく7月イブン・バットゥータは再びバグダード向けて出発した途中チグリス川沿って北方足を伸ばすモースルではイルハン朝知事客人としてもてなされた。現在のトルコ都市ジズレマルディン立ち寄るシンジャール近くの山にある庵にてクルド人神秘主義者会い銀貨もらったモースル戻り、彼は南方バグダードにてメインキャラバンと合流する予定巡礼キャラバン参加する合流後アラビア砂漠越えてメッカにいたる。下痢伴った病気消耗しきった2回目ハッジとなった

※この「イラクとペルシア」の解説は、「イブン・バットゥータ」の解説の一部です。
「イラクとペルシア」を含む「イブン・バットゥータ」の記事については、「イブン・バットゥータ」の概要を参照ください。

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