イラクでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 06:08 UTC 版)
「アブー・アイユーブ・アル=マスリー」の記事における「イラクでの活動」の解説
マスリーが、いつごろイラクに入国したのかは長らく不明であったが、2010年4月にアラブ首長国連邦の新聞「アル=バヤーン」が、2010年4月18日にイラク軍によって逮捕されたマスリーの妻のハスナーの供述を報じたことにより一部が解明されている。これによると、マスリーはイラク戦争開戦以前の2002年、サッダーム・フセイン政権下のイラクに入国していたという。マスリーの一家はバグダードのカッラーダ地区やアーミリーヤ地区で暮らしていたが、2003年4月にフセイン政権が崩壊すると、バグダード郊外のアル=ジャディーダへと移動し、その後、ディヤーラー県に移った。しかし自宅が米軍の爆撃を受けたためファッルージャへと逃げたが、そこも米軍による大規模な掃討作戦の標的となり、バグダード南郊にあるアブー・グライブに移り住んだという。2007年からはサルサール湖周辺地域で潜伏生活を送っていたという。 ハスナーによれば、マスリーは同じ家に長期間住むことは無く、頻繁に住居を変えていたという。 2006年6月に「イラクの聖戦アル=カーイダ組織」の指導者であるザルカーウィーが米軍に殺害されると、スンナ派の過激派組織の統一機構「ムジャーヒディーン評議会」は、マスリーがザルカーウィーの後継者になったことを表明した。2006年10月、同組織は「イラク・イスラム国」に改組、一方的にイラク中部を自らの領土と主張し建国を宣言した。マスリーは外国人であるため、名目的な「首長(アミール)」に現地イラク人のアブー・ウマル・アル=バグダーディーを据え、自らは実質的指導者として同組織の「戦争大臣」に就任した。 2010年4月19日、イラクのマーリキー首相は記者会見を開き、同国の情報機関と駐留米軍の合同部隊が、イラク・イスラーム国の実質的指導者(戦争大臣)のマスリーと、指導者(首長)のアブー・ウマル・アル=バグダーディーを、サラーフッディーン県で殺害したと発表した。イラク軍バグダード作戦本部のカースィム・アター報道官の発表によると、マスリの居場所の情報は、3月11日にバグダッドで拘束されたイラク・イスラーム国のバグダード県知事であるムニーフ・アブドゥッラヒーム・アッラーウィーから得たという。
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