イラク〜イラン〜北方草原地帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 20:38 UTC 版)
「ガルナーティー」の記事における「イラク〜イラン〜北方草原地帯」の解説
ガルナーティーがイラクを離れた理由はよくわかないが、1130年までには、イラン北部のアブハルを訪れたことが彼の記述からわかる。彼はその後さらに北へと進み、カスピ海西岸沿いにアルダビール、バクー、ダルバンドを経由して1131年にヴォルガ川下流域の町サクスィーンに到着し、そこに三年間滞在する。1134年になると、ガルナーティーはさらに北へ進みブルガールに滞在する。彼はその地の王とのかなり気さくなように見受けられる対話を記録しており、王から一定の待遇を受けていたと思われる。ブルガール滞在前後については記述がない空白期間となっているが、20年ほどの期間をブルガールかあるいはさらに北方で過ごしたと考えられる。
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